外国人集住地域「芝園団地」発
2019年05月24日
また、経済界では、04年に日本経済団体連合会が「外国人受け入れ問題に関する提言」を公表し、国は地方自治体の取り組みを支援するだけではなく、地域における総合的な受け入れ体制の整備に取り組むことを求めました。
こうした自治体、経済界の動きを受けて、06年、総務省が「多文化共生の推進に関する研究会報告書」を公表しました。外国人住民も生活者であり、地域社会の構成員として共に生きていくための条件整備について、国レベルでも本格的に検討すべき時期との認識が背景にあり、報告書では、地域における多文化共生を、「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」と定義しました。
しかし、先行して外国人を受け入れた地域では、必ずしもこのような状況に至っていないのが実情です。その状況を顧みることなく、今回の改正入管法により、さらなる外国人住民の増加が見込まれています。
本来、今回の法改正作業と並行して、地域での外国人受け入れがスムーズになる方法を検討し、外国人受け入れの新制度が始まるこの春から実施する必要があったのではないでしょうか。
私が暮らす埼玉県川口市の芝園(しばぞの)団地の現状をレポートします。
私は、2014年から、住民の半分以上が外国人になったUR都市機構川口芝園団地に住みながら、団地自治会の役員として、日本人と外国人の関係づくりに取り組んできました。
この5年を振り返ると、両者の関係づくりは、やはり難しいというのが、偽らざる本音です。ただ、外部から団地を眺めると、外国人の集住によって顕在化した問題ばかりに焦点があたりやすく、その実態が分かりにくいのでは、と感じています。
隣近所の住民関係を「共存」=「お互い静かに暮らせる関係」、「共生」=「お互いに協力する関係」と定義し、私が見聞きし、体験してきた多文化共生の実態を紹介したいと思います。
外国人の人口は、15年11月に日本人を上回りましたが、これまで世帯数は、日本人が上回っていました。しかし、19年3月、両者の世帯数が初めて逆転し、芝園町は国際化の一途をたどっています。
芝園団地は、1978年に入居を開始し、若い子育て世代の日本人が住み始めました。現在、子どもたちは独立し、若い世代がいなくなる一方で、当初からの日本人住民は70代以上と、その高齢化は顕著です。
一方で、外国人住民の多くは、30代の子育て世代。また、企業の寮として、独身の若い外国人が複数人で住む部屋もあります。
外国人住民の大半は中国人住民と見られ、主に大学を卒業したIT系企業に勤めるサラリーマン。IT人材の不足を補う外国人材の受け入れ先として、芝園団地は役割を果たしています。
中国人住民に住み始めた理由を聞くと、驚くほどに友達の紹介が多いです。敷地内には、アジアの物産店や中華料理屋があり、SNSなどの中国人ネットワークもあって、便利で住みやすいと聞きま
す。
また、すべての部屋が賃貸物件で定住志向の人は少なく、長期出張で来日している人もいるため、多くの外国人住民は約2、3年で引っ越していきます。
その子どもたちは未就学児が多く、両親が共働きしている場合、敷地内の保育所などに通っていたり、祖父母が短期来日して孫の面倒をみることもあるようです。
今年度から外国人材の受け入れを拡大するにつれて、芝園団地と同じように高齢者の日本人と若い外国人という住民構成になる地域が増えるはずです。
つまり、芝園団地は、地域の国際化と日本人住民の高齢化が進んだ将来の「日本の縮図」といえる場所なのです。
団地に住み始めて以降、外国人住民が増える過程で起きた様々な問題を、日本人住民から聞きました。
例えば、ゴミの問題です。2000年代になってゴミが散乱したり、分別できていないなどの苦情が増え始め、自宅からゴミ捨て場にゴミを投げ捨てる人が出てくるなど、ゴミ問題が顕在化し始めました。
また、夜でもベランダ越しに大きな声で話す人が出てきたり、夜10時以降でも親子連れが外にいて、子どもの叫び声がうるさくて仕方ない、といった騒音問題が顕在化しました。
さらには、料理の香りに対する苦情も聞きます。これまでなじみのない香りが共用廊下だけでなく、自分の部屋の中にまで充満する場合もあるのです。
これらの問題は、外国人住民が、日本人住民を困らせようとして起きたわけではなく、悪気なく母国と同じ生活をしているにすぎません。
例えば、ゴミの分別をしない国から来日した人が、多言語版の生活ガイドブックを渡されただけで、ゴミの分別ができるようになるでしょうか。料理の香りだって、母国では普通の香辛料や油を使っているだけです。
しかし、これまでにない生活習慣が持ち込まれることで、日本人住民が迷惑に感じることも少なくありません。生活習慣の違いは、外国人住民を迷惑な隣人と感じやすくなる構造的な要因になっているわけです。
迷惑な隣人を許容できる人はいないので、これらの問題の緩和が、まず何よりも必要になります。
芝園団地では、野ざらしだったゴミ捨て場に、鉄枠で囲ったゴミステーションを建てたことで、ゴミの散乱はなくなりました。また、ゴミの分別に関する掲示を3カ国語(日・中・英)にし、イラストを掲示することで、外国人住民にも分別しやすい工夫をしています。
また、11年、UR、川口市役所、自治会と住民約40人で、住民集会を開催しました。そこで、外国人住民の増加にともなう様々な問題を提示して、これらの問題を解決するため、団地内の管理サービス事務所に通訳者を配置して欲しい、と要請しました。
翌年には、通訳者が配置され、入居手続きの際に、団地での生活習慣を中国語で説明したり、団地内の注意書きが日中両語で書かれたりするようになりました。
また、18年からは、外国人住民向けの自治会冊子を配付し始めました。冊子には、最低限理解して欲しい団地の生活習慣を、イラストなどで分かりやすく説明しています。この冊子を作成するきっかけは、中国人住民にこう言われたことでした。
「日本人は『郷に入れば郷に従え』というでしょ。郷に従わなければ問題だと怒る。その気持ちは分かるし、郷に従いたくないわけではないんです。でも、日本人は、その郷がどのようなものかちゃんと説明してくれていますか? 言わないでも分かると思っているみたいだけど、ちゃんと言ってくれないと分からないです」
私は、衝撃を受けました。確かに知らないことをできるはずがない。こんな当たり前のことにも気づかないなんて。
例えば、下の階に響くから部屋で飛び跳ねてはいけないことは、暗黙のルールとして明示されていないこともあります。芝園団地は、上階のトイレの音が深夜に聞こえるくらい、上下の壁が薄いのです。
しかし、中国には、上下の壁が厚い建物もあるので、跳ねると下の部屋にうるさいことが分からない人もいるのでは、と中国人住民から聞きました。日本の当たり前も、母国の当たり前ではない。だから、きちんと明示しないと、相手も郷に従えないわけです。
これらの取り組みを進めたことで、ゴミ捨て場などの住環境はだいぶ改善した、といった声を聞くようになりました。
以前と比べれば、冒頭で定義した、「お互い静かに暮らせる関係」=「共存」には、だいぶ近づいてきたのではないでしょうか。
迷惑な隣人と協力関係を築きたい人はまずいないので、「共存」は「共生」に進むための土台といえます。
2000年代の初めごろ、芝園団地では空き家がだいぶ目立ったと聞いています。その空き家を埋めるように増えてきたのが外国人住民でした。
当時は、まだ若い日本人住民がいたことや、旧芝園小学校や旧芝園中学校を通じて、両者が知り合う機会もありました。
しかし、日本人住民の子どもたちは巣立っていき、小・中学校が閉校する中で、互いにつながるきっかけが失われていきました。また、両者に世代差があるため、日常の接点がほとんどない状況になったのです。
芝園団地では、日本人と外国人が分断しているように見えるかもしれません。しかし、「分断」という言葉を調べると、「一つにつながっているものを分かれ分かれに切り離すこと」とあります。
芝園では、もともとの接点が失われているので、一つにつながることさえできずにいます。つまり、分断しているのではなく、自然と棲み分けが起きているだけなのです。
また、中国では見知らぬ隣人を気にする習慣がさほどないようで、日本人住民が挨拶をしても、返事のない場合もあります。そのため、日本人住民からすれば、不気味な隣人になってしまう一方で、中国人住民からすれば、声をかけてくる見知らぬ他人を不思議がるばかりでした。
これだけみれば、外国人住民の増加にともない、住民同士の関係が失われたように見えます。しかし、都会の暮らしは、日本人同士の人間関係も希薄です。
2016年、神戸新聞の読者投稿欄に次のような内容の投稿がありました。
「住民総会で、知らない人に挨拶されたら子どもに逃げるよう教えているので、マンション内での挨拶をしないように決めて欲しい、という提案が出た。年配の住民からは、挨拶しても返事がなく気分が悪かったのでお互いにやめましょう、と意見が一致してしまった。世の中変わったな、と理解に苦しんでいます」
このように、日本人同士でさえも普段の挨拶をしない。引っ越しの挨拶もしない。自治会・町内会の加入率が減少の一途をたどっているなど、
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