リトルカトマンズの若者
西日本新聞が外国人労働者問題に取り組んだきっかけは2016年9月、社会部で同僚記者が口にした何げない話題だった。「福岡市の一角に、ネパール人の若者たちが身を寄せ合って暮らすリトルカトマンズがあるらしい。『国際通り』って呼ぶ人もいるそうだ」
確かに、福岡市内で中国語や韓国語とは異なるアジアの言葉を耳にしたり、深夜の居酒屋やコンビニエンスストアで働く褐色の肌の人々を見かけたりすることが、ここ数年で急に増えた。法務省入国管理局に聞くと、日本で暮らすネパール人の増加率は福岡県が全国でも突出して高く、過去10年間で19倍に激増していた。「おもしろそうだね」。社会部に取材班を結成し、彼らの実態を調べ始めた。
取材班はネパール人の若者から、アルバイト先に通うための送迎バスの時刻表を入手し、乗り場である福岡市内のJRの駅前でバスを待った。夕刻、南アジア系の若者がぽつぽつと集まり、複数のバスに乗り込んでいく。駅を利用する日本人の会社員も客を待つタクシー運転手も、気に留める様子はない。
「最初は気味悪かったけど、4、5年前からどんどん増えてきて、もう慣れたよ」。毎日、買い物で駅前に来るという70代の男性は、彼らを横目に通り過ぎた。
取材班は手分けして送迎バスを追った。1台がたどり着いたのは、福岡市郊外の運送会社の仕分けセンターだった。働く人の9割がネパール人留学生で、バイトリーダーも任されていた。
別のバスは、コンビニ弁当の工場に着いた。労働者の9割が外国人で、うち8割がベトナム人、残り2割がネパール人。屋内の掲示物には両国の言葉が併記されていた。バイトを掛け持ちして月25万円稼ぐ若者がいた。深夜はその工場で働き、昼間はコンビニのレジで働いて、自分が作った冷やしうどんを売っているという冗談のような本当の話もあった。
バスを追い、内部資料を入手するような取材をした理由は、運送会社もコンビニも、多数の留学生が働いているにもかかわらず取材を断ってきたからだ。多くの留学生が入管難民法に基づく留学生の就労制限(原則週28時間以内)を超えて働いているのを隠すためのようだった。
しかし、日本の若者が敬遠するそれらの職場で、留学生たちが欠かせぬ戦力になっている実態は、もはや隠しようもない段階にまで来ていた。