「新時代沖縄」をつくるポジティブパワー
2019年06月22日
「めずらしい名前ですね――」
自己紹介の場面で必ずと言っていいほど言われる台詞だ。すかさず、私はこう返す。「父親が日系ペルー人で、ペルーの首都リマ市が由来なんです」。なるほど、と相手が頷いて腑に落ちた表情になる。
沖縄県は歴史的に日本有数の移民県として知られており、県民の4人に1人は海外に親戚を持つともいわれている。琉球王国が廃止され、明治政府の「旧慣温存」政策によって農民層が重税と貧困にあえぐ中、移民政策が国を挙げて推進された。ハワイ、フィリピン、北米、南米、日本本土……。一獲千金を夢見て沖縄島から大勢の人々が国内外へ旅立った。
筆者の父方の曽祖父母もその一例で、1世紀前に東海岸にある離島の平安座島(へんざじま)からペルー・リマ市へ移民した。そうして父の代までペルーでの暮らしを続けてきた。沖縄が米軍統治下から日本へ施政権が返還されることが決まり、これから経済が良くなるから沖縄に移りなさいと親戚から説得された父の家族は、「沖縄返還」の1972年、沖縄へ「引き揚げる」ことを決断した。
しかしながら、ペルー育ちで日本語が理解できず、学歴も財産も持たない外国出身家族の来沖後の苦労は大変なものであった。筆者自身は沖縄生まれの沖縄育ちだが、「移民の子ども」として親の背中を見て育ってきた自負がある。
先ほどの自己紹介のパターンには続きがあって、お決まりの質問が投げられる。
「ペルーへ行ったことはありますか?」「―いいえ」
「スペイン語は話せますか?」「―いいえ」
「ペルーの〇〇を知っていますか?」「―いいえ」
親が外国出身でも、子どもがその国の言語や文化を会得しているとは限らない。私の自己紹介はいつも否定することとセットだった。
親の仕事の都合で幼少期を南米のウルグアイとブラジルで過ごし、8歳で沖縄に帰ってきたとき、小学校で「帰れブラジル人!」と言われた。強烈なショックだったが、この体験がきっかけとなってアイデンティティについて考えるようになった。「私って何者なんだろう? 日本人? ウチナーンチュ(沖縄人)? 外国人?」
ペルーの文化に愛着はあるが、行ったこともなければ言葉もわからない。見た目も国籍も周りの日本人/ウチナーンチュと変わらない。でも、「日本人でしょ」と言い切られるとなにか違和感がある――。
みんなと同じ存在になりたいけれども、どんなにあがいても帰属できない。この世界のどこにも自分の居場所がないと感じていた。
あまりにも息苦しくて、そのうちペルーにルーツがあることも、南米で過ごしたことも隠して生きるようになった。そうやって、周りに同化して生き抜くしかなかった。
見た目はウチナーンチュなのに外国出身。日系留学生たちは、母国の言葉と日本語、ときにはウチナーグチ(沖縄語)を交えながら沖縄への愛と期待を語る。その姿だけでも眩しかったが、何よりも、沖縄ともう一つ(場合によっては二つ以上)のルーツがあることを当たり前として捉えている彼らが、卑屈に生きてきた自分とは対照的で、本当に羨ましかった。
同時に、大学で移民史や琉球・沖縄史を学び、琉球併合、沖縄戦、米軍占領、沖縄返還といった国策を顧みたとき、私自身もまた彼らと同じく、沖縄の歴史の性質上、生まれてきて当然のマイノリティだったのだと悟った。
それがわかったとき、自分自身の中で、マイノリティとして生きてきた「わたし」と、米軍基地問題について日本の中で意見を言っても聞いてもらえない沖縄の存在がリンクした。そして、沖縄に生まれ育ちながら、琉球・沖縄史を自らの歴史として義務教育で学ぶことができない現行制度や、すでに存在しているマイノリティ・グループが認識に反映されていない社会のあり方に疑問を持つようになった。
大学院を修了後、「島ぐるみ会議」という沖縄の市民団体に事務局スタッフとして関わり、名護市・辺野古へ座り込みに行く市民らの支援や、故・翁長雄志前県知事が国連人権理事会へ参加した際の随行サポートを行った。
機動隊に力づくで市民が排除されていく抗議活動の現場に毎日通い、21世紀の日本で起きている国家的暴力を目の当たりにした。
日本史上初めて、翁長知事が行政首長として国連人権理事会に行くことになったときには、いよいよ辺野古問題は日本国内のシステムだけでは救済の限界があるという顕れなのだなと思った。同時に、他国の外交官やNGO、マスメディアが真剣に沖縄の訴えに耳を傾けてくれたことに、沖縄で起きている問題が人権侵害問題として国際社会に知られれば、まだまだ解決の余地はあるとの実感が持てた。
人権侵害に苦しむ人びとが世界中から集って訴える姿に刺激を受けた半面、沖縄の声を届ける上で自分自身の力不足も痛感した。まったく違う場所で経験を積んで、沖縄の抱える問題を普遍的な人権問題として語れるようなりたい――そう思い、海外ボランティアとして2016年よりコロンビア、2017年よりペルーでそれぞれ働くことにした。
コロンビアでは、村役場の職員として紛争犠牲者の支援担当に就いた。人口1万人規模の小さな集落だが、国内で過去2番目に大きな爆破事件がゲリラによって起きたことで有名な場所だ。凄惨な地上戦を経験した沖縄の出身だからこそ何かできることがあるはずだと思ってこの土地での活動を希望したが、むしろ教わることのほうが多かった。
半世紀近く紛争が続き、2016年にサントス大統領(当時)がゲリラとの停戦合意でノーベル平和賞を受賞したことで知られるコロンビアは、行政やコミュニティに国連や国際人権NGOがどんどん入り、ソフト・ハード両面から支援が進んでいた。10歳くらいの村の子どもが走り寄ってきて、「私たちは直接紛争を経験していないけど、親やお年寄りたちが暴力を受けたこの地域で暮らしているのだから、私たちも間接的な紛争の被害者なんだよ」と当然のように言い切る姿には、沖縄、いや日本こそ戦争被害者に対するケアや補償が立ち遅れているとさえ感じた。
一方で、沖縄で行われている公教育の場での平和教育の実践や、世界の恒久平和を願って、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなったすべての人々の氏名を刻んだ記念碑「平和の礎(いしじ)」の理念を紹介するとき、「暴力の時代」から間もないコロンビアの人々は、自分事として真摯に耳を傾けてくれた。この経験から、「命(ぬち)どぅ宝(たから)」(命こそ宝)の精神に表される沖縄の平和を希求する心は、世界レベルで共有すべき尊いものなのだと確信を持つことができた。
ペルーでは、沖縄県人会や日系コミュニティに通って高齢者らと接するうちに、沖縄戦のトラウマを抱えたまま海外へ移民して生きているウチナーンチュがいることを知った。ある高齢者は、「ペルーの家族や孫たちは沖縄戦の実態を知らないし信じてくれない。戦争の話をしても、そんな酷いことが現実に起こるわけがない、おばあちゃんは悪い夢を見たんだよと言われた」と筆者に語った。凄惨な戦争体験の苦しみを誰とも共有できないまま、自分の胸の内に抱えて異国で生きている人々がいるということを、私は想像したことがなかった。
沖縄戦のことだけではない。アメリカ占領下の出来事や今日に続く米軍による犯罪被害を、沖縄の親戚や留学、渡沖した人々を通じて聞かされてきた海外に暮らすウチナーンチュたちもまた、胸を痛めながら、しかし誰かに疑問を投げかけることもできず葛藤していた。同時に、自身のルーツでもある沖縄のために何か行動を起こしたいと考えている若者たちにも出会った。
世界には26カ国・1地域に92の沖縄県人会があり、海外に暮らす県系人の数は40万人を超える。そうした海外コミュニティにいる沖縄への想いを持つ人々と手を取り合い、国際社会に沖縄の置かれている状況を発信すれば、米軍基地問題をはじめ、沖縄の抱える問題は解決の方向へ向かうと感じた。
2018年8月に南米から帰国すると、間もなくして翁長知事が急逝した。沖縄島は例えようのない深い悲しみに包まれた。翁長知事は、保守、革新、無党派の立場を問わず、「オール沖縄」で県民が心を合わせることの大切さを説き、実際に取りまとめることができた偉大な政治家だった。失って改めて、これまで県民の先頭に立ち、知事として沖縄の問題を一身に請け負って巨大な権力と闘ってきた翁長氏の存在の大きさと尊さに、大勢の人々が気づかされた。埋め立て承認撤回の裁判、さらに迫り来るであろう政府の横暴に、どうやって沖縄は対抗していけばいいのか。悲しみと不安に多くの県民がうなだれた。
翁長知事が亡くなって数日が過ぎた後も、知事選の候補者選考は一向にまとまらず県民は気を揉んでいた。そうした中、「辺野古」県民投票の会代表の元山仁士郎さんやSEALDs RYUKYUで活動していた後輩から、一緒に会って話をしたいと声をかけられた。数人程度の集まりだと考えていたら、予想に反して20人弱にまで膨れ上がった。そうして集まった10~30代のメンバーで、これから自分たちが沖縄を守るためにどうしたらいいか、どんな政策が必要か、誰を知事にしたいかを、とことん話し合った。
実は、2018年春に翁長知事のがんが明らかになった時に、市民の間では後継者候補として当時衆議院議員だった玉城デニー氏の名前がささやかれていた。しかし、政党や組織からなる「調整会議」の人選関係者の間で彼の名前が議論されることはなかった。そのことが頭の片隅にあった私は、集まりの中で事情を話してみた。
はじめは、「玉城デニーって誰?」「僕は安室奈美恵ちゃんが知事になったほうがいいと思う」などと話していたメンバーだったが、
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