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大本営は信じられていなかった

辻田真佐憲 作家、近現代史研究者

戦線の後退と不信感の発生

 では、国民はこのような大本営発表をどれくらい信じていたのだろうか。少なくとも第2期の中盤くらいまでは相当信じていたらしい。様子が変わったのは、1943年前後のことである。というのも、このころより、大本営発表への不平不満がさまざまな資料に登場するからだ。ちょうど日本軍がガダルカナル島の攻防戦で米軍相手に苦戦を強いられ、撤退しようとしていた時期にあたる。

 同年1月6日付の『やまと新聞』の「思想戦鞏化座談会」では、つぎのように大本営発表への要望が率直に語られている。

 「発表はその都度迅速にやられてをるに違ひないけれども、××××××状況に付ては余りはつきりしてをらんといふ考へがある。だから××××のことに付いても非常にいろいろなデマが出てゐます。[中略]寧ろ吾々は第一線の戦線がどういふ状況であつたかといふやうなことを、或程度真相を発表すべきではないかと思ふ」

 自主規制の伏せ字が多いものの、なにをいわんとしているのかはわかる。「大本営発表も都合のいいことばかり垂れ流していると、かえって信頼を失い、デマをはびこらせる。だから、もっと率直に真実を発表してほしい」。もっともな内容だが、当局の受け入れるところではなかった。同紙は内務省警保局検閲課に「反軍思想を醸成する虞あり」と判断され、発行前の同月5日付で発禁処分されてしまった(『出版警察報』)。

 特高警察が集めた噂話や投書、落書きにも同じようなことが語られている。たしかに、それまでも戦争や皇室への批判はあった。だがこの時期を境に、具体的な戦況や大本営発表を槍玉に挙げるものが明らかに増えていった(『特高月報』)。

 「今日本は負戦さばかりだそう(ママ)ですね、発表ばかり勝つた勝つた様にしてゐるが本統(ママ)は負けて居るとの事だ」(12月28日、熊本県=道府県名は報告地)

 「本間の事は新聞に書かれへんと大阪新聞の加藤紫雲先生が次のやうの事実を非公式に発表せられたが、これは新聞に発表して国民に知らす事にせよ」(1月24日、大阪府)

 「国民を馬鹿にするな正直に発表せよ」(2月2日、大阪府)

 「日本は勝つた勝つたと言つてゐるが、ノモンハンでもソロモンでも負けてゐる」(2月13日、神奈川県)

 ガダルカナル島からの「転進」や、アッツ島守備隊の「玉砕」の発表は、その言い換えにもかかわらず、日本軍の劣勢を隠せなかった。戦線はジリジリと日本本土に近づいてきた。5月に、山本五十六連合艦隊司令長官の「戦死」が発表されたことも、国民の疑念をいっそう掻き立てた。

 「日本は戦争に勝つた勝つた言つて居るが、実際は戦争に敗けて居るんだ、ガダルカナルでもアツツ島でも、五十六さんの作戦が悪いからだ」(3月から5月ごろまで、兵庫県)

 「大体米英の戦果の発表は正確であるが、我方の大本営の発表には相当法螺があるから当にはならぬ」(4月中旬ごろ、島根県)

 「新聞には勝つた勝つたと言ふことを書いてゐるが、事実はどうか分らん、勝つたと言ふのに日本には戦死者が非常に沢山あるではないか、之を見ただけでも我軍が相当苦戦をして不利な方になつて来て居る事は分かるだらう」(9月中旬ごろ、兵庫県)

 「決戦苛烈と体裁の良言葉で誤魔化し其実敗戦に継(つぐ)敗戦日の丸も風前の灯火」(10月13日、大阪府)

 このように国民のなかには、制限された環境下でも、さまざまな情報を総合して戦況の変化を読み取るものがあった。かれらは、大本営発表を鵜呑みにするほど単純ではなかったのである。

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筆者

辻田真佐憲

辻田真佐憲(つじた・まさのり) 作家、近現代史研究者

1984年、大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。著書に『天皇のお言葉』『大本営発表』『ふしぎな君が代』『日本の軍歌』(以上、幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)など多数。監修に『満洲帝国ビジュアル大全』(洋泉社)がある。軍事史学会正会員、日本文藝家協会会員。