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人事権握る官邸 霞が関統制

記者の監視が民主主義支える /インタビュー「官房長官会見を問う」

石原信雄 元内閣官房副長官

拡大官房副長官在任時から今の政治まで縦横に語る石原信雄氏=東京・銀座

 記者会見の代名詞ともいえる内閣官房長官の記者会見。官僚トップの副長官として7年余にわたり首相官邸でその模様を見続けてきた石原信雄氏(92)に当時と今の違い、官邸とメディアのあるべき関係などについて、思いを聞いた。

長官の性格と力関係

―まず、官房長官による記者会見の様子や裏側を、豊富な経験を踏まえてお話しください。

石原 たくさんの官房長官にご縁があったが、二つのタイプがある。徹頭徹尾、総理を支えて運命を共にするという忠誠心の強いタイプと、総理をチェックする役割を果たすタイプ。その違いによって、記者会見の様子も変わってくる。たとえば、竹下内閣のときの小渕恵三官房長官は、竹下登首相と心中してもいいぐらいの忠誠心があった。

拡大官房長官就任の記者会見をする後藤田正晴氏=1982年11月、首相官邸
 直接仕えたわけではないが、関係が深かったのは中曽根内閣のときの後藤田正晴官房長官。中曽根康弘さんは私の郷里の先輩だし、後藤田さんは自治省の先輩で中曽根さんの右寄りの行き過ぎをチェックする役割を果たした。中曽根内閣が長持ちしたのは、この点で後藤田さんの力が大きく、国際関係においても国内関係においても存在感が大きかった。田中角栄、福田赳夫両氏の「角福戦争」で、中曽根さんは同じ選挙区で福田さんと闘っていたので、田中さんを推した。その関係で中曽根内閣の官房長官に田中派の後藤田さんが就くなど、「田中曽根内閣」といわれた。何よりも、ものの考え方からいっても田中派が仕切ってできた中曽根内閣だから、チェックする意味を持った官房長官だった。

官房長官や副長官は記者会見にあたり、どういう動きをするのでしょうか。

石原 官房長官の記者会見は毎日あるが、特に閣議後の記者会見では閣議の内容を発表する。だが、それはあくまで概要であってすべてではない。だから、何を発表するかは、官房長官自身の判断によるところが大きい。「閣議の詳細な議事録を作れ」という意見はあるが、それが難しいのは、メンバーにはそれを書くひまがないからだ。今、官房副長官は政務(2人)と事務(1人)で計3人いるが、当時は2人。事務の副長官が閣議案件を説明して、政務の副長官が閣議で決裁をもらうという役割分担だった。閣議案件について閣僚の署名が終わったあと、若干の時間、所管の問題について話し合う。中には、外に出してはまずい発言もある。そのへんをどう発表するかは官房長官の判断によるのであって、閣議の状況をそのままコピーしたものではない。全部をオープンにするとなると、閣議そのものが難しくてできなくなってしまう。

後藤田さんはそのあたりの判断を、どうしていたのでしょうか。

石原 記者会見を見ていたけれど、後藤田さんなりの整理をして発表しておられたと思う。たとえば日中関係なんかは、必ずしも閣議発言の通りではない物言いをしていたと思う。

もう一方の忠誠心のある官房長官の場合、閣議内容のコピーというか、ほぼそのままに近い内容を発表していたのでしょうか。

石原 私が仕えた官房長官の中では、閣議の詳細を比較的忠実に発表していたのは、村山内閣の五十嵐広三さん。自分なりに取捨選択して発表するのでなく、閣議の概要をそのままかなり細かいところまで発表しようとしていた。

本来、どちらのタイプがよいのでしょうか。

拡大
石原
 どちらがいいというより、そのときの官房長官の性格、官房長官と総理大臣の力関係なんかもあるように思う。たとえば、海部内閣のときの坂本三十次(みそじ)官房長官は、閣議の内容についてはごくごく概要を発表するたぐいだった。坂本さんは記者会見そのものがあまりお好きでなかったので、「君、記者会見をやってくれ」と言われて、私は「それは困ります」と言った。「じゃあ、しょうがない、閣議の日はやるから、閣議のない日は君がやってくれ」と。それで記者クラブのご了解を得て、代わりに私がやったことが何回かあった。日ごろは、記者会見のときはいっしょに出るから、その補足をすることはある。官房長官の答弁だけで足りない部分があるときは、こっちに向かって「どうなってるんだ」と尋ねられる場面もある。

 そういうことができたのは、自民党河本派の中で坂本さんがナンバー2で、首相の海部俊樹さんがその下のナンバー3だったから。通常、官房長官は総理のところへ行って相談する。きわめて重要な問題は別だが、それほど重要でない問題については、坂本さんはあまり頻繁に総理のところには行かなかった。

細川内閣や村山内閣と自民党政権の官房長官会見の違いはありましたか。

石原 自民党政権と非自民の連立政権、(自民、社会、新党さきがけによる)自社さ政権の3種類の政権に仕えたが、政権の政策によって差があったかというと、あまりなかった。政策の違いというより、官房長官によっておおまかに閣議の様子を発表する人もいれば、細かに発表する人もいるということだ。キャラクターの違いだと思う。

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筆者

石原信雄

石原信雄(いしはら・のぶお) 元内閣官房副長官

1926年、群馬県生まれ。東京大法学部卒。旧地方自治庁入庁。自治省の税務局長、官房長、財政局長などを経て、84年に自治事務次官。竹下内閣から村山内閣にいたる87~95年、内閣官房副長官を務める。95年に東京都知事選に落選後、埼玉県の浦和市・大宮市・与野市合併推進協議会会長を務めた。現在、地方自治研究機構会長。著書に『官邸2668日 政策決定の舞台裏』(日本放送出版協会)、『権限の大移動―官僚から政治家へ中央から地方へ』(かんき出版)、『市町村合併成功の秘訣―地方分権の更なる前進のために』(日本法制学会)など。