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非難超え「聞くべきこと」判断

質問意図、読者らに説明機会を

綿井健陽 ジャーナリスト、映画監督

拡大自衛隊宿営地で佐藤正久隊長(当時)を囲む日本の報道陣=2004年4月筆者撮影 イラク南部サマワ

 記者会見での対応・言動・質問を巡って、あちこちで紛糾が続いている。政治家、芸能人、企業、事件や事故など、会見を開く側も、そして会見で質問をする側も、どちらも一つ一つの言葉や態度や表情が、あらゆるメディアにさらされる。

 会見でのある返答を〝神対応〟と大きく称賛したかと思えば、それを質問した記者やメディアをネット上で吊るし上げるケースも増えた。会見を巡って、ネットが〝炎上〟〝荒れる〟(議論や論争ではなく)光景は日常化しつつある。

 これほど記者会見が生中継されて、あらゆるところから〝矢〟が飛んでくるような状況が訪れるとは、以前は想像できなかった。メディアが質問を独占して、新聞やテレビで報じられた「記者会見」が、ネット中継やSNS経由で、いわば誰でも〝参加〟〝ウォッチ〟できるような「国民会見」になったかのようだ。

 会見での発言や質疑応答の全てが「可視化」「生中継」されるような光景は、果たして社会にとって望ましい状態なのか。それとも逆に、バッシングや攻撃を呼び起こす〝リンチ(私刑)〟が、ネットからマスメディアまで横断的に可視化・中継化されているだけなのか。

 1990年代後半から取材活動を始めた筆者にとって、記者会見とは一時期までは取材現場で、「そもそもフリーランスは入れない」「会見に出なくても、自分の取材に支障はない」という程度の位置づけだった。

 ところが、この10年近くの間にフリーランスでも参加できる国内の会見が増えたこともあって、報道や論調が同一方向に流れやすいマスメディアとは違った視点や角度で、自分が会見を取材することには「意義がある」と徐々に思うようになった。

 ある殺人事件の裁判では、遺族会見がマスメディアで常に大きく報じられるので、自分はその逆側の加害者側の弁護団会見を報じた。会見のみならず、「もう一つの」「逆の側の」視点で取材・報道をすることは、社会に多様な事実や見方を提示することになると考えている。これを私は〝逆視逆考〟と呼んでいるが、自分にとっての取材作法の起点でもある。

 近年の菅官房長官会見や福島第一原発事故後の東京電力会見で盛んに追及する記者やフリージャーナリストの存在は、この国の権力とメディアの関係性も、会見を通じてあぶり出しているように見えた。

 自分自身が過去定期的に通った「当時の記者会見」から、「現在の記者会見」に通じる問題を思い起こしてみる。

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筆者

綿井健陽

綿井健陽(わたい・たけはる) ジャーナリスト、映画監督

1971年、大阪府生まれ。98年からアジアプレス・インターナショナルに参加、世界の紛争・戦争地域を取材。イラク戦争報道で「ボーン・上田記念国際記者賞」特別賞、「ギャラクシー賞」報道活動部門・優秀賞など。ドキュメンタリー映画『イラク チグリスに浮かぶ平和』(2014年)などを撮影・監督。著書に『リトルバーズ  戦火のバグダッドから』(晶文社)など。