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実践することの大切さを知る

「しょぼい成功」のための10冊

えらいてんちょう 経営コンサルタント、YouTuber

宗教から「倫理」を考える

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 そういったことを教えてくれるのが、中田考『イスラームの論理』です。自身もムスリムである中田氏が、倫理や規範、また法といったものを〝イスラームの論理〟を通じて解き明かすことで、〝日本人〟の思考回路では到底見えてこない別の姿として見えてきます。

 たとえば「倫理」を考えてみましょう。倫理は経済や技術の発展にしたがって〝進歩〟します。脳死患者からの臓器移植は、日本では臓器移植法によって認められていますが、これが認められるのは脳死状態から蘇生させる医療技術が現存しないからです。でも、もしその技術が開発されれば、脳死患者から臓器を移植して心臓死に至らしめることは殺人になりますよね。結局、物事の「よい、悪い」の線をどこに引くかを考えると、「ある一定の人々が、その時点のなんとなくの感覚でそう決めた」としか言えないのです。極めてあやふやで、あいまいな基準です。これはリベラリズム、多様性というものを突き詰めれば突き詰めるほど、そうなるのと同じです。

 中田氏が本書で書いていることについて私は「宗教とは倫理を一定のところで止めるものだ」と読み取りました。イスラームであれば、豚は食べてはダメ。なぜならクルアーンにそう書いてあるから。単純明快です。仏教にも戒律があり、キリスト教だと、実際に行為をなさずとも心中で思っているだけで罪となることもあります。なぜそうなのかを非信者が追究しても意味がありません。そして、宗教には「その時点の感覚でなんとなく決めた」などというあいまいな余地はありません。「神が決めた」「神の意を受けた預言者がそう告げた」あるいは「その宗教における、従うべき聖人がそう言った」ということがすべてです。そしてそれは時が経とうと、世間の倫理観が動こうと不変の価値を持ちます。むしろその「時代が変わっても変わらない」という安定性こそが宗教法のいちばん大切な部分なのです。内容がいいか悪いかは時代によって変わってしまうのですから。

 昔からの言い伝えを「そんな考えは古い」と否定する人がいますが、「古い」ということだけでは批判たりえないと思います。むしろ宗教に限らず、昔から連綿と続くことには、続いていること自体に意味があり、その価値や意味は、自らそれを実践することによってこそ理解し得ます。中田氏は世界三大宗教のひとつであるイスラームの考え方を愚直なまでにそのまま、アレンジせずに日本に紹介してくれており、勉強になります。

机上の理論と現場での経験

 さて、すべての理論は実践を踏まえなければならない、と言った人物として毛沢東がいます。毛の「実践論」(『実践論・矛盾論』所収)は、徹底した現場主義を説きます。地道な労働がもっとも大事。労働を実際に行ってみて、そこで得た経験を理論に反映し、それをまた労働の現場で地道に実践する。つまり、理論と実践を行き来せよ、というのが毛の主張です。

 私は生活保護の受給者支援をずっと行っていますが、これとて実際に多くの受給者に触れてみないとわからないことがあります。たとえば生活保護を現物給付にせよ、という人がいますが、実際にやっていた私からすると

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筆者

えらいてんちょう

えらいてんちょう 経営コンサルタント、YouTuber

1990年、千葉県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。本名は矢内東紀。大学卒業後、リサイクルショップなどを起業。学習塾やイベントバーを経営し、小規模でゆるい「しょぼい起業」を提唱する。東京都豊島区在住。著書に『しょぼ婚のすすめ』(KKベストセラーズ)、『静止力』(同)、『しょぼい起業で生きていく』(イースト・プレス)ほか。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです