メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

メディアスクラムの中で失いかけた私の〝原点〟

島袋夏子 琉球朝日放送ニュースデスク

 クローゼットの奥に保管している、古い段ボール箱を久しぶりに開いてみた。大事にとっておいたのは、20年前の取材ノートや新聞の切り抜き。駆け出しのころに追いかけた、ある事件の記録だ。

 光市母子殺害事件―。1999年4月、山口県光市の社宅アパートで、23歳の主婦(本村弥生さん)と生後11カ月の幼女(夕夏ちゃん)が殺害された。

 当時、私は山口県をエリアとする山口朝日放送の警察担当記者だった。沖縄で生まれ育ち、大学卒業後もそのまま地元メディアで記者になろうと思っていたが、採用試験は散々な結果だった。1年ほど沖縄で契約社員として働いた後、山口で念願だった記者の職を得た。

 しかし、親元を離れて初めての本土暮らしは失敗の連続で、上司からは、いつも怒られてばかりだった。事件が起きたのはそんな2年目の春だった。

 山口で9年働いた後、私は2007年に沖縄にUターンしたが、この事件だけは最後まで見届けたいと考えていたし、それまでは記者を続けていようと決めていた。

 今回、何を書こうかと迷ったが、この事件以外、思い浮かばなかった。22年間、いろんな現場に行ったし、何本かドキュメンタリーも作った。けれど、あのときほど、真っすぐな気持ちで、仕事に向き合えているだろうかと考える。思い出しただけでも、息苦しくなる、苦い経験もした。これから書くのは、ずっと心の中に仕舞っていたことだ。

新基地建設に揺れる沖縄県名護市辺野古で取材する筆者

聞き込みで特ダネを得たが

 20年前のその日、殺人事件の一報を受けて現場に到着すると、社宅アパートの周りは、すでに黄色い規制線が張り巡らされ、中に入れなくなっていた。

 夜の闇の向こうにある現場を見ながら、何をしたらいいかわからず、ただ立ち尽くしていると、だんだん記者が増えてきた。普段は何も起こらない静かな町で、若い主婦と赤ちゃんが殺害された、しかも犯人は捕まっていない。

 全国紙は、近隣から応援を次々に送り込んできた。だが、私の会社は、開局6年目で、ベテランと呼べる先輩もいなかった。隣にいた全国紙の同期に、どうやって取材しているのか尋ねると、ひたすら近所に地取り・聞き込みをするか、アパートの住民たちに電話して話を聞くのだという。なるほど、そんな手があったのかと思い、翌朝から真似してみた。

 すると2日目に、ある家の主婦が、妙な出来事を話してくれた。

 事件の日、作業服を着た若い男が訪ねて来て、「排水検査です。トイレの水を流してみてください」と言ったのだという。
不審に思った主婦は、たまたま休暇中で奥の部屋にいた夫を呼ぶため、玄関を離れた。すると、若い男はその隙にいなくなっていたという。主婦は、作業服にあった社名まで覚えていた。

 私は直感的に、とんでもない情報を掴んでしまった気がしていた。事件については、ニュースやワイドショーで連日取り上げられていたが、その真偽は怪しいものばかりだったからだ。

 警察担当が集まる県警記者クラブでは、まだプロとは言い難い新人記者たちが、様々な臆測を巡らせていた。中には、先輩記者から聞いた見立てを披露し、「(第一発見者の)夫が犯人に違いない」と、自信たっぷりに言う者までいた。

 妻子が殺された上に、犯人呼ばわりされるなんて、本当に酷い話だ。横で聞いていて、嫌な気分になったのを覚えている。
だが私は、主婦から聞いた、特ダネかもしれない話をどう扱っていいかわからず、書けずにいた。

 事件から4日後に犯人は逮捕された。犯人は、18歳になったばかりの少年だった。しかも、少年は排水検査員を装い、被害者宅を訪れていた。あの主婦の証言と一致する。少年は、若い主婦に乱暴しようとしたが、抵抗されたため殺害し、傍でハイハイしていた女の子も手にかけたということだった。

事件を身近に感じる

 犯人が逮捕されると、報道は落ち着くかに思われたが、本番はここからだった。火をつけたのは、全国紙だ。記者が被害者の葬儀に参列し、その様子を書いていたのだ。

 家族を失ったばかりの被害者に接触するのは、はばかられると思っていた。ましてや葬儀という厳粛な場に、親族でも、友人でもない、他人が入り込むなんてどうなのだろう。

 だが、その記事を読み、東京からディレクターがやって来た。夫にインタビューのアポイントメントをとったのだという。完全に出遅れた私は、彼に同席させてほしいと頼み、ついて行った。そこで初めて会ったのが、遺族で夫の本村洋さんだった。

 初めて接する、犯罪被害者と呼ばれる人は、想像とは違っていた。年齢は、私より1つ年下の23歳。ボーダーのTシャツにジーンズ。まだ少年のようなあどけなさが残る、どこにでもいる痩せた青年だった。

 けれどそれが逆に、衝撃的だった。あまりに普通だったからだ。事件に巻き込まれるのは、自分たちとは違う人たちだと思い込んでいた。

 彼の人生はこれからどうなってしまうのだろうか。

 犯罪被害者になってしまった同世代と対面し、急に事件が身近に感じられた。

 その日、本村さんは残業を終えて夜9時半ごろ帰宅した。部屋には

・・・ログインして読む
(残り:約7352文字/本文:約9451文字)