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安易に白黒をつけてはならない

ヘイトスピーチと表現の自由

森達也 映画監督、作家、明治大学特任教授

 あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」の展示中止が突然発表された8月3日から2カ月以上が過ぎた。通常の事件や騒動ならば、とっくに沈静化して人々の記憶も薄くなり始めている時機のはずだ。でも事態は今も動き続けている。

再開するも補助金は不交付

 9月30日、あいちトリエンナーレ実行委員会と「表現の不自由展・その後」実行委が展示再開で合意したことが報道された。実際に再開したのは10月8日だから閉幕まで1週間。決して充分な期間ではないけれど、展示が再び実現した。

 ただし手放しでは喜べない。この発表の4日前である9月26日、就任したばかりの萩生田光一文部科学相が、「申請のあった内容通りの展示会が実現できていない」として補助金約7800万円全額を交付しないとする方針を表明している。

 確かに展示企画のひとつとして予定されていた「表現の不自由展・その後」は、始まってから3日目に中止となり、内容通りの展示会は実現できなかった。でも問題視された要素は内容ではなく、申請(手続き)のほうらしい。

 報道によれば萩生田文科相は、「慰安婦を表現した少女像などの作品展示について、批判や抗議が殺到して展示継続が難しくなる可能性を把握していながら、文化庁に報告がなかったこと」を問題視したという。しかしそうした可能性について、申請の段階で報告する義務は定められていない。

 表現が先鋭化すればするほど、批判や抗議が殺到する可能性は常にある。リスクをゼロにすることなど不可能だ。文化庁に報告がなかったことを萩生田文科相は問題視した。ならば報告しておけば、補助金は認められたのだろうか。どう考えてもそれはありえない。これほどにリスクが高い催しに補助金は認められない、との対応をされたはずだ。

 つまり「報告がなかった」との理由は後付けなのだ。きわめて異例な判断であることは文化庁も認めている。そもそもは8月2日の段階で、菅義偉官房長官は「補助金交付の決定にあたっては、事実関係を確認、精査して適切に対応したい」と会見で指摘していた。これが伏線だ。いや伏線ですらない。路線はここで既定になる。なぜならば標的とされた展示の焦点が、韓国の彫刻家キム・ウンソンとキム・ソギョンが制作した「平和の少女像」と、大浦信行の映像作品「遠近を抱えてPart II」にあるからだ。つまり慰安婦問題と皇室タブー。

NHK番組改変問題との共通項

 本誌(月刊journalism)の読者ならば、慰安婦問題と皇室タブー、そして政治的な圧力と表現の自由、というコンテクストから、20年近く前に起きた騒動を思い起こす人は少なくないはずだ。NHK番組改変問題。2001年1月30日に放送したETV特集シリーズ「戦争をどう裁くか」の第2夜放送「問われる戦時性暴力」が、放送直前に大幅に内容を改変した。

NHKの番組改変問題を伝える朝日新聞記事。2005年1月12日付朝刊1面
 その放送から4年が過ぎた2005年1月、朝日新聞が「NHK『慰安婦』番組改変 中川昭・安倍氏『内容偏り』前日、幹部呼び指摘」との大きな見出しを1面に掲載し、中川昭一経済産業相(報道当時)と安倍晋三自民党幹事長代理(同)の二人が、この番組放送前にNHK上層部に対して圧力をかけたとスクープした。

 さらにこの記事が出た直後、当番組のデスクを担当した長井暁が、NHKのコンプライアンス推進委員会に対して、「政治介入をうけた」と内部告発をしていたことが明らかになった。安倍幹事長代理(事件当時は官房副長官)はNHK放送総局長などと放送前日に面会し、「公平公正にやってくれ」「お前、勘ぐれ」などと改変を示唆したという。

 こうした報道に対してNHKは、二人の政治家からの圧力を否定しながら、編集改変は自主的な判断で行ったと反論した。このときの記者会見は僕もテレビニュースで見た。議員と面会した松尾武放送総局長は、この番組が放送直前に尺が4分短くなったことについて「よくあること」と弁明したが、この瞬間に(僕も含めて)日本中のテレビ番組制作関係者は、いくらなんでもそれはない、と唖然としたはずだ。なぜこれほどにあからさまな嘘をつくのか。やはり何かを隠そうとしているのか。僕も含めて誰もがそう思ったはずだ。

 「問われる戦時性暴力」の回は、市民による擬似民衆法廷のドキュメンタリーを主軸にしている。テーマは従軍慰安婦など戦時における女性への暴力だ。実際に慰安婦だった女性や、慰安所を利用したかつての帝国陸軍兵士たち数名が証人として出廷し、最後に裁判長が被告人である昭和天皇裕仁と日本国に下した判決は有罪だった。

 つまりこの番組も、慰安婦問題と皇室タブーに抵触していた。だからこそ放送前に、(その内容を知った)二人の保守政治家は圧力をかけたと報道された。その一人は故人となり、もう一人は現職の総理大臣だ。自分を中心とした官邸の権力をかつてないほどに強化する彼の側近の一人が、加計問題のときに文科省に圧力をかけたと指摘された萩生田文科相。

 従軍慰安婦と皇室タブー。二つの禁忌がおよそ20年の時空を超えながら表現領域の自由を反復して抑圧する。反復している。あるいはリンクしている。そういえば「問われる戦時性暴力」のプロデューサーで政治家からの圧力を長井に続いて告発した永田浩三は、NHKを退職して現在は「表現の不自由展・その後」実行委員会の一人だ。そしてETV問題とあいちトリエンナーレのあいだの2008年には、やはり同じように文化庁の助成金を政治家が問題視した映画『靖国 YASUKUNI』の上映中止騒動があった。このときに前面で動いたのは、安倍チャイルドなどと称される稲田朋美議員だ。

 ループしている。あるいは反復している。つまり前に進んでいない。同じところを回りながら後退するばかりだ。

明確な規制はなくとも……

 最初の映画『A』(*1)を公開した翌年である1999年、そもそもの職場だったテレビに戻った僕は、テレビドキュメンタリー「放送禁止歌」(*2)をディレクションした。放送はフジテレビの深夜枠だ。しかも関東ローカル。視聴率は1%にも満たなかったはずだ。

 だから多くのテレビ番組と同様にこのドキュメンタリーも、放送が終わった瞬間に忘れ去られるはずだった。ところが放送後の反響は予想を超えて大きく、フジテレビは何度か再放送を行い、さらには放送禁止歌をテーマに本を書かないかとの依頼まで舞い込んだ。つまり僕にとって大きなターニングポイントになった作品だ。

 撮影のためのリサーチを始めたころは、権力による規制や弾圧が放送禁止歌の本質であることが前提だった。でも取材を始めてすぐに気がついた。放送や音楽業界で働く人たちの多くがこの問題について語るとき、使われる述語は常に「らしい」とか「ようだ」なのだ。つまり伝言ゲーム。でも始まりがわからない。これもまたループしている。どこまで探っても伝聞なのだ。

 少なくとも明確な規制や弾圧はどこにもない。でも(僕も含めて)誰もが、放送禁止歌という排除システムが実在することを当然の前提にしていた。だからこそ規制があっさりと発動する。ところが規制の主体はどこにもない。仮想だから摩擦も働かない。こうして仮想が現実になる。実体がどこにもない現実だ。

 およそ500万年前のアフリカ大陸で樹上生活を送っていたラミダス猿人は、地上に降りて直立二足歩行を始めると同時に、それまでの単独生活から群れて集団で生きるライフスタイルに移行した。なぜなら地上には大型肉食獣がひしめいている。一人で行動していたらあっさりと捕食されてしまう。群れならば天敵も簡単には襲ってこない。あるいはもしも足音を忍ばせて天敵が近づいてきたとしても、群れの中にいるならば誰かが気がつく可能性は高い。

 群れる本能は保持したまま、ラミダス猿人はホモサピエンスへと進化する。イワシやムクドリやトナカイなど、群れるイキモノはたくさんいる。彼らの共通項は弱いことだ。常に天敵に脅えている。特にホモサピエンスは、走れば遅いし逃げるための翼はない。夜目はきかず泳ぎは下手だ。筋力もないし爪や牙はほぼ退化した。圧倒的に弱い。だからこそ群れる本能がとても強い。

 イワシの群れなどが典型だが、群れは全体でひとつのイキモノのように動く。つまり同調圧力が常に働いている。だって勝手気ままに動いていたら天敵に捕食されるリスクが高くなる。周囲の多数派の動きに自分を合わせないと不安になる。

 私見だが東アジアはこの傾向が強い。集団行動が大好きだ。言い換えれば個が弱い。全体で同じように動くためには指示が必要だ。つまり強いリーダーが欲しくなる。そして号令を待つ。右向け右。全体とまれ。もしも明確な指示がなければどうするか。不安になった集団は仮想の指示を作り出す。これが忖度だ。こうしてリーダーにとっては

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