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トゥンベリさんから火 なぜ彼らは怒るのか

石井徹 朝日新聞編集委員(環境・エネルギー担当)

 「よくもそんなことを。30年以上、科学は警鐘を鳴らし続けました」

 今年9月に米ニューヨークの国連本部で開かれた気候行動サミットのグレタ・トゥンベリさん(16)は、ものすごい形相だった。彼女はなぜ怒っているのか。分かっている大人はどれくらいいるのだろう。案の定、「大人が後ろで糸を引いている」とか、「問題の複雑さを理解していない」とか、「あのやり方は反発を招く」と言い出す人が出てきた。

科学は知っていた

米コロラド州デンバーで行われた学校ストライキで演説するグレタ・トゥンベリさん(右手前)=2019年10月11日

 だが、彼女の言う通りだ。科学的にはとっくに分かっていた。世界気象機関(WMO)の主催で第1回世界気候会議が開かれたのは、いまから40年前の1979年。温暖化の科学のベースになってきた国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が設立されたのは31年前の1988年。国連気候変動枠組み条約の署名が始まったのは27年前の1992年にブラジルのリオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議(地球サミット)の時のことだ。

 2015年に採択された温暖化防止の国際ルールであるパリ協定は、1700年代半ばに始まった産業革命前からの地球の平均気温の上昇を、2度よりも十分低く抑え、できれば1.5度未満にすると定めたが、「2度目標」の必要性が言われ始めたのも25年前だ。

 「生みの親」と言われるポツダム気候変動研究所前所長のハンス・ヨアヒム・シェルンフーバーさんによると、1995年にベルリンで開かれた枠組み条約第1回締約国会議(COP1)に向けたドイツの諮問委員会の中で彼が提案、翌年には欧州理事会で決議された。

 だが、「科学の声」は事実上放置された。97年に京都市で開かれた同条約第3回締約国会議(COP3)では、先進国に温室効果ガス削減が義務づけられたが、「科学の声」にはほど遠い生ぬるさだった。それでも、米国は中国に削減義務がないことなどを理由に批准せず、日本も「安政の5カ国条約以来の不平等条約だ」などと騒いで〝途中退場〟した。

 「2度目標」が日の目を見た2015年。世界の気温は、すでに約1度上昇していた。パリ協定はできたものの、各国の削減目標が達成されても、世界の気温は3度よりもさらに上昇する可能性が高い。

上昇2度未満でも危険

 科学と政治の「仲介役」であるIPCCは、「科学的厳密性と政治的中立性」を守るために「政策提言はしない」のが原則だ。IPCCには化石燃料を売り続けたい国や温暖化を否定する科学者も参加しており、報告書の要約はすべての国が科学的に認めざるを得ない最大公約数と言っていい。実際に温暖化の進行や影響は、ほぼIPCCの指摘通りになっている。だが、温暖化対策を渋る勢力から「政治的すぎる」と批判されたり、スキャンダルを仕掛けられたりするなど、科学は常に脅かされてきた。

 そのIPCCがパリ協定の発効後の昨年10月にまとめたのが、「1.5度特別報告書」だ。0.5度の差はわずかにも思えるが、世界の気温上昇を1.5度未満に抑えれば、2度未満の時に比べて、極端な高温や豪雨、海面上昇のほか、生態系や人間の生活などのリスクが格段に減ることが示された。ただ、このままでは2030年にも1.5度に達する恐れがある。もはや2度は安全な世界とは言えない。1.5度未満に抑えるには、2020年ごろには世界の温室効果ガス排出量はピークを迎え、30年に45%削減、今世紀半ばに「実質ゼロ」にしなければならないという。にもかかわらず、排出量が下降に転じる見通しは、見えない。

 IPCC以外にも、気になる最新の研究がある。気温上昇が2度前後になると、温暖化に歯止めが利かなくなる恐れがあるという。海や氷、森、土などの自然は、人間などの生物にとって住みやすい気温に地球環境を維持してくれている。自然の回復力によって、多少の変化なら元に戻すことも可能だ。が、ティッピングポイント(閾値)を超えると、後戻りできなくなり4度や5度まで上がる可能性がある。ドミノ倒しのスイッチが入るのが、2度ぐらいらしいのだ。

 SFやホラー映画の話ならいい。だが、信頼のおける部類の科学者が出した予想である。パリ協定で決めた「2度目標」すら難しいのに、1.5度を達成しようとすれば、各国は削減目標を引き上げなければならない。だが、自らの削減目標を引き上げようとする国は少ない。特に大国には。まじめに削減に取り組んでいるようにも見えない。米国はパリ協定から離脱すると言っている。日本は温暖化の元凶とも言える石炭火力発電所を建て続けている。子供たちは生まれた時から気候危機の下で生きることを運命づけられている。怒らない方が不思議だ。「なぜ、ずっと前から分かっていたのに動かなかったのか」、「なぜ、ここまできて動こうとしないのか」と。

言いたいことを言っていい

「Fridays For Future Japan」と記されたボードを示し、温暖化対策を訴える学生ら=2019年2月22日、東京都千代田区の国会議事堂正門前

 トゥンベリさんがたった一人で始めた「気候のための学校ストライキ」、または「Fridays For Future(未来のための金曜日)」の運動は、瞬く間に世界の若者へと広がった。日本で最初の行動は今年2月22日にあり、国会議事堂正門前に約20人が集まった。報道陣の方が多かった。就職活動中の女子大学生が「人からどう思われようが私たちは声をあげる」と書いたプラカードを手にしていたのが気になった。彼女は「日本では、デモやアクションに参加すると就活に響くと言われますが、

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