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あいトリ 「表現の不自由展」中止事件

決定の妥当性と残る課題

曽我部真裕 京都大学大学院法学研究科教授

理念としての表現の自由

 別冊資料2が「理念としての表現の自由」という考え方を提示したのは、前述したような意味で、今回の事案の個々の論点が典型的・直接的には憲法上の表現の自由の問題にはならないとしても、それらを考える上で表現の自由の理念を十分に考慮しなければならないと考えたからである。そこで、表現の自由の基本的な考え方を改めてまとめておきたい。

拡大「表現の不自由展・その後」の再開を伝える朝日新聞=2019年10月8日付夕刊

 まず、表現の自由はなぜ大事なのだろうか。この点について端的に次のように述べたヨーロッパ人権裁判所の判決があり、参考になる(①から④の数字は筆者が付加したもの)。(注2)

 表現の自由は①民主的社会の本質的基礎であり、②社会の発展及び③すべての人間の発達のための基本的条件である。表現の自由は、好意的に受け止められたり、あるいは害をもたらさない、またはどうでも良いこととみなされる『情報』や『思想』だけではなく、④国家や一部の人々を傷つけたり、驚かせたり、または混乱させたりするようなものにも、保障される。

 ここで述べられた考え方は、日本においても全く同様に当てはまる。つまり、①民主的社会では、政策を自由に論議したり、政府を批判したりすることが不可欠であり、そのためには表現の自由が欠かせない。②たとえば、女性の地位の発展の歴史を見れば分かるように、今日、ある程度の社会的な男女平等が実現されてきているのは、男性中心社会が様々な形で批判され、女性の権利が主張されてきたからである。表現が抑圧されていれば、このような社会の発展はなかっただろう。③人は、自ら表現をし、あるいは多様な表現に触れることによって自己の考えを深め、視野を広げることができることは言うまでもない。①から③までが、表現の自由が重要であるとする論拠あるいは表現の自由を保障する意義に当たるが、こうした意義を十分に発揮させるためには

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筆者

曽我部真裕

曽我部真裕(そがべ・まさひろ) 京都大学大学院法学研究科教授

1974年生まれ。京都大学法学部卒。専門は憲法、情報法。同大大学院法学研究科講師、同准教授、パリ政治学院客員教授などを経て現職。著書に『反論権と表現の自由』(有斐閣)、共著に『情報法概説』(弘文堂)、『古典で読む憲法』(有斐閣)など。