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ドイツの脱原発の背景を探る

倫理的に成り立たぬ「平和利用」

アンドレアス・シングラー 独ジャーナリスト

 2011年3月11日、津波と福島第一原発の大事故を引き起こした東日本大震災が起き、地球の反対側のドイツでは政治が根本から変わった。キリスト教民主同盟(CDU)のアンゲラ・メルケル首相は物理学者でもある。彼女が率いるドイツ政府は、大震災のわずか3日後に原発の運転延長政策の凍結を決めた。国内外の原発容認派は批判したが、大きな決断への称賛の声の方がまさった。このメルケル政権の動きは、例えば日本の脱原発運動にとっても、自らの政府に何を求めるかという手本のようにみなされた。しかし、メルケル氏のふるまいは、自党内にさえヒステリックだとみる声があった。福島第一原発事故の直前、メルケル氏自身もドイツの原発を「世界一安全」と表現していたからだ。だが、彼女は突如として、「技術社会のなかでのカエサル(不退転の決断を行った人物)」となったのである。

二転三転する「脱原発」

拡大 風力発電をイメージする「かざぐるま」を持って街を歩く反原発デモの参加者=2019年、ベルリン

 脱原発の決定は、初めてのものではない。02年、当時の連邦政府、つまり社会民主党(SPD)と緑の党との連立政権は22年までの段階的な脱原発を定めた法律を可決していた。だが、CDUと自由民主党による連立政権は10年9月に運転期限の延長を決め、10月には議会で可決された。再生可能エネルギーが十分に拡大されるまで原子力をその橋渡しの技術として使う、とメルケル氏はこの決定について理由を述べた。
ところが、「フクシマ」の事故直後の11年6月、メルケル政権は22年までの脱原発を再び決めた。ドイツ国民の多くが歓迎したが、そもそも原発は事故の際に予測不可能な被害を与える危険な技術だということは、それ以前から知られていた。メルケル首相は震災後の方針転換を、ドイツと同様に高度な技術国である日本でこのような事故が起きるとは以前には想像できていなかったためだとした。「フクシマ」の事故が初めて、この思い込みが間違っていたことを明らかにした。そのため、安全性の確認について急な対応が必要となり、ストレステストを行った。「いずれにせよ、大規模な原子力事故がなければより現実的なリスク評価ができないというのならば、それは責任ある政府の行動とは言えない」と、ベルリンの新聞「ターゲスシュピーゲル」は、メルケル氏の見解に対してコメントしている。

 これまでもチェルノブイリ、スリーマイル島、そして1950~60年代にはカナダやアメリカ、スイスなどで炉心溶融をともなう重大事故が起こっていたが、十分な警告とはならなかった。多くの人はチェルノブイリ原発事故について、当時の旧ソ連は、技術的に西ドイツや日本とは比較にならないと考えていた。メルケル首相は当時東ドイツ人だったが、同様だった。

 「フクシマ」の大事故後、ドイツの脱原発の動きの背景に何があったのか。おそらく、「フクシマ」は一部の政治家の考え方を本当に変えたが、それだけではなかった。3月11日からの2週間半の間に、ドイツでは三つの大きな州(この3州の代表者で連邦参議院の半数を占める)の州議会選挙があった。連邦参議院は、ドイツの16州の代表からなる議会である。連邦議会で可決された多くの法律が、連邦参議院の承認を必要とする。

 メルケル氏は、事故後のそれらの州議会選挙で深刻な政治権力の喪失に脅かされていた。彼女は、原発に対する意見の転換のきっかけは、原子力の危険性への認識を急激に深めたことだと繰り返し強調した。しかし、だれもそれを信じなかった。原発の段階的廃止の決定にもかかわらず、与党CDUは三つの州議会選挙で敗れ、それまで保っていた連邦参議院での過半数は失われた。南ドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州では、緑の党のウィンフリード・クレッチマン氏が1953年以来初めて、保守派でも原発推進のCDU出身でもない州首相となった。5年後に彼がより多くの支持による再選を果たしたという事実は、とにかくドイツの社会がどれだけ変化したか、そして、一般市民層にとって環境問題(グリーンなテーマ)がどれほど重要になったかを示した。

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筆者

アンドレアス・シングラー

アンドレアス・シングラー(Andreas Singler) 独ジャーナリスト

1961年生まれ、独マインツ在住。日本学やスポーツ学を研究し、日本の反原発運動や2020年東京オリンピック・パラリンピックの反対運動もテーマ。たびたび来日し、福島の現在と将来についても取材。「ドイツの脱原発への道とエネルギーシフトの今」などについて日本各地で講演。ドイツ語の著書に『さようなら原発―フクシマ事故後の日本の抗議活動』など。(顔写真は小玉直也氏撮影)