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1980年代以降迷走する教育改革

「不確実性の罠」にはまった主体性論

苅谷剛彦 オックスフォード大学教授

戦前の主体性の欠如を指摘

 五つの欠点・弱点のうちの3番目が、「ひはん的精神」の欠如である。ここでの議論にしたがえば、「主体(性)」の欠如に相応する。次の文章である。

 「日本国民は、ひはん的精神にとぼしく権威にもう従しやすい。上の者が権威をもって服従を強制し、下の者がひはんの力を欠いてわけもわからずしたがふならば、それは封建的悪徳となる。(中略)このやうな態度があつたればこそ、無意味な戦争の起るのを防ぐことができず、また戦争が起こつても政府と国民の真の協力並びに国民全体の団結ができなかつたのである」

 「権威」への無批判な「服従」を「封建的悪徳」と断じる。戦前の「封建的」で「権威」主義的な抑圧が生み出したのが、「ひはん的精神」の欠如、すなわち、欠如態としての「主体(性)」という見方である。戦後民主主義の樹立という切迫した価値転換=制度変革のなかであぶり出された主体性の欠如という問題の立て方(問題構築)だとみてよい。

 この問題設定にしたがえば、権威に「わけもわからずに」従ってしまう「服従」を強いることをやめ、封建的な関係を是正すれば、「ひはん的精神」を養うことが可能になる、という暗黙の前提が含まれていた。

 性急ながら、戦前の(教育の)否定というわかりやすい過去を参照することで、「ひはん的精神」を主体性の中核に据えたのである。欠如した主体性の内実は不明確ながらも、それが戦前の「わけもわから」ない権威主義への追従の否定型であるという意味で、その輪郭は明確であった。

66年中教審の「期待される人間像」

 次に見るのは、66年の中央教育審議会答申に「別記」として付言された「期待される人間像」である。

 今ではほとんど顧みられることはなくなったが、当時の教育界では、その国家主義的性格が、進歩派教育学者を中心に鋭く批判された文書である。その中に、主体性の希求とみてとれる部分がある。次の引用である。

 「日本の教育の現状をみるとき、日本人としての自覚をもった国民であること、職業の尊さを知り、勤労の徳を身につけた社会人であること、強い意志をもった自主独立の個人であることなどは、教育の目標として、じゅうぶんに留意されるべきものと思われる」

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筆者

苅谷剛彦

苅谷剛彦(かりや・たけひこ) オックスフォード大学教授

1955年、東京都生まれ。東京大学教育学部卒。同大学院教育学研究科修士課程修了。ノースウェスタン大学大学院博士課程修了。東京大学教育学研究科教授などを経て、2008年から現職。専門は社会学、現代日本社会論。著書に『教育と平等』『大衆教育社会のゆくえ』(いずれも中公新書)、『増補 教育の世紀』(ちくま学芸文庫)、『オックスフォードからの警鐘』(中公新書ラクレ)、『追いついた近代 消えた近代』(岩波書店)などがある。