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1980年代以降迷走する教育改革

「不確実性の罠」にはまった主体性論

苅谷剛彦 オックスフォード大学教授

将来の変化を分析的に把握

 「右肩上がり」と言われた時代に、果たしてどれだけの予測可能性(≠不確実性)があったのかを想像してみるとよい。

 高度成長期に2度のオイルショックが来ることは予見されていたのか。80年代前半の日米貿易摩擦後のプラザ合意(85年、先進5カ国がドル高是正のための協調介入を決めた合意)が、バブル経済をもたらすことを予測できていたのか。バブル経済を終息させようとした政策選択が、その後の「失われたX年」を生み出すことを予見できたのか。

 あるいは、少子化が進むことが指摘されながら、後戻りができないところまで事態が悪化することを誰が予見できたのか、その対応ができなかったのはなぜか。2011年3月11日の東日本大震災自体は予見できない出来事だったとしても、それが引き起こした福島第一原子力発電所の事故は予見できたのか。

 これらの出来事は、私たちがすでに過去に「変化の激しい、先行き不透明な、厳しい時代」を経験してきたことの痕跡だ。前述のように、80年代に育成すべき主体性の意味変容が生じていたとすれば、その時代以降に教育を受けた世代が今の現役世代には多数いる。

 そうだとすれば、すでに過去に起こった「予測できない未来」に、私たちは、どのように「主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決」しようとしてきたのか。そこで必要な資質や能力は何であったのか。それはどのように育成されたのか、されなかったのか。

 これらの問題に帰納的な思考を通じて答えることで、不可知論に陥らない政策議論ができるはずだ。

 もう一つ重要なのは、不確実性という問題構成自体を俎上(そじょう)に載せることである。自然災害や気候変動、戦争、国際関係や国際経済の急速な変化といった、日本だけでは対処できない突発的で外在的な出来事に比べれば、技術の発達や国内の社会・経済の変化は漸進的である。断層的な変化が起こりうるとしても、何の前兆もなく生じるわけではない。

 不確実性の罠に陥らないためには、将来社会の変化自体を、分析的にとらえ直す必要がある。AIの発達で、なくなる職業がある、だからこれまでにない資質や能力が求められるといった程度の曖昧な言明ではなく、不確実性という問題が提出されたときに、私たちがそれをいかに理解してきたかを顧みながら、不確実性の罠を見破っていくのだ。

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筆者

苅谷剛彦

苅谷剛彦(かりや・たけひこ) オックスフォード大学教授

1955年、東京都生まれ。東京大学教育学部卒。同大学院教育学研究科修士課程修了。ノースウェスタン大学大学院博士課程修了。東京大学教育学研究科教授などを経て、2008年から現職。専門は社会学、現代日本社会論。著書に『教育と平等』『大衆教育社会のゆくえ』(いずれも中公新書)、『増補 教育の世紀』(ちくま学芸文庫)、『オックスフォードからの警鐘』(中公新書ラクレ)、『追いついた近代 消えた近代』(岩波書店)などがある。