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1980年代以降迷走する教育改革

「不確実性の罠」にはまった主体性論

苅谷剛彦 オックスフォード大学教授

「エセ演繹型思考」を避ける

 不確実性の罠にはまってしまうと、なかなか自分たちの過去の経験に焦点を定めて、内部の参照点から日本の教育や社会が培ってきた人びとの資質や能力の特性を理解できなくなる。不確実性の罠は、前述の通り、不可知論を中心にした循環論法に陥っている。だから、育成すべき資質や能力も曖昧で、そのための手段も机上の空論の域を出ない。

 このような政策論法の特徴を前掲の拙著では「エセ演繹型思考」と名づけた。それは中途半端にわかったつもりで、抽象度の高い概念の間を行ったり来たりするだけで、現実からの事実に基づいた帰納的思考を排除する思考の様式だ。

 その曖昧さゆえに、安易に外部の参照点に飛びついてしまう。その一つがグローバルランキングである。大学のランキングをはじめ、OECDのPISAと呼ばれる国際的な学力調査の結果に一喜一憂するのは、内部の参照点からの帰納を怠ってきたことの裏返しだ。

 大学ランキングについては、かつて10年以内に日本の大学10校以上が世界のグローバルランキングの100位以内に入ることを目標に、スーパーグローバル大学創成支援事業という政策がとられた。すでに5年近い年月が過ぎたが、その政策成果の検証は全く行われていない。

 PISAが提唱するコンピテンシー(能力や特性)を中心とした学力測定が提唱されると、そこでの成果をあげるために、全国学力・学習状況調査でも類似の問題が出され、その得点をあげることがあたかも、国際標準の学力を身に付けたことだとされる。

 今回の大学入試改革の混乱にもその影響の一端が見えた。記述式問題に固執したのも、見た目だけは実用性の高い試験問題にシフトしようとしているのも、PISAのような外部のわかりやすい参照点に依存することで、前述の不確実性の問題から逃れようとするからだ。

 だが、PISAのような国際学力調査がどのような資質や能力を測定できているのかについての真摯な議論は起こらない。それでも日本のランキングに応じて教育改革論議が行われ続ける。

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筆者

苅谷剛彦

苅谷剛彦(かりや・たけひこ) オックスフォード大学教授

1955年、東京都生まれ。東京大学教育学部卒。同大学院教育学研究科修士課程修了。ノースウェスタン大学大学院博士課程修了。東京大学教育学研究科教授などを経て、2008年から現職。専門は社会学、現代日本社会論。著書に『教育と平等』『大衆教育社会のゆくえ』(いずれも中公新書)、『増補 教育の世紀』(ちくま学芸文庫)、『オックスフォードからの警鐘』(中公新書ラクレ)、『追いついた近代 消えた近代』(岩波書店)などがある。