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1980年代以降迷走する教育改革

「不確実性の罠」にはまった主体性論

苅谷剛彦 オックスフォード大学教授

 敗戦後、「主体性」の欠如という問題は、長らく日本の進歩的知識人が指摘してきた日本社会の問題の一つであった。「主体的な個人」が確立していない。そのことが「無責任体制」を生み出し、日本を無謀で悲惨な戦争に巻き込んだ。民主主義を確立し、平和な戦後日本を建設するためには、「主体性」の欠如というこれまでの日本の問題点を解決しなければならない、といった問題の構成である。

 それゆえ、「主体的」な個人の育成が戦後日本で希求され続けた。そのために期待されたのが、教育であり、そのような教育を提供するために、教育改革=教育政策の模索が続けられた。「主体性」の育成は、戦後教育改革を貫く、果たすべき「理想」の一つであり続けたといって過言ではない。

 しかし、教育政策の言説を詳しく調べていくと、育成が希求された当の「主体性」に、微妙だが重要な変化が生じていたことがわかる。昨年9月に上梓した拙著『追いついた近代 消えた近代』(岩波書店)では、その画期が1980年代の臨時教育審議会以降の教育政策言説に見られることを明らかにした。

「主体性」の歴史的変容

 本稿では、その変化がいかなるものであったのか、その変化を生み出した背景には、政策立案者のどのような問題意識があったのか、「主体性」の意味変容が、教育改革の立案・実施にどのような影響を及ぼしてきたのか、それは日本の教育と社会にいかなる「意図せざる結果」を生み出したのかを追っていく。

 教育政策言説における、「主体性」変容の歴史的変遷をたどることで、とりわけ80年代後半以後の日本の教育改革の迷走の理由が判明すると考えるからである。その意味で、本稿の分析対象の主役は「主体性」である。

 だが、その役回りの変化と、変化の意味をたどるためには、重要な脇役に焦点を当てなければならない。その重要な脇役が、とりわけ90年代以降に頻繁に使われるようになった常套句(クリシェ)である「不確実性」である。

 結論を先取りすれば、「不確実な時代」に対応していくためには「主体的」な個人の育成が不可欠だという論理によって、教育改革の中心的な課題が構築されていく。それがいかなる問題を孕(はら)んでいたかを含めて、本稿では、教育改革が迷走を続ける原因に迫りたい。

敗戦直後の『新教育指針』

 敗戦という契機は、日本にとって戦前の教育が誤りであったことを喫緊の課題として露呈した。占領下でアメリカの影響を受けて戦後の教育改革が始まる。いわゆる六・三制といった制度改革に加え、新たな学校体系のもとで、どのような日本人を育成していくべきかという課題が突きつけられた。

 そのような時期の46年に、文部省が提出した文書がある。『新教育指針』である。その第一部第一章の二のタイトルは、「どうしてこのやうな状態になつたのか」。敗戦に至る過程で、「日本人の物の考え方」のどこに問題があったのかを論じ、五つの「欠点、弱点」が指摘された。それは、その当時までの日本人に欠けていた特性を列挙したリストといってよい。

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筆者

苅谷剛彦

苅谷剛彦(かりや・たけひこ) オックスフォード大学教授

1955年、東京都生まれ。東京大学教育学部卒。同大学院教育学研究科修士課程修了。ノースウェスタン大学大学院博士課程修了。東京大学教育学研究科教授などを経て、2008年から現職。専門は社会学、現代日本社会論。著書に『教育と平等』『大衆教育社会のゆくえ』(いずれも中公新書)、『増補 教育の世紀』(ちくま学芸文庫)、『オックスフォードからの警鐘』(中公新書ラクレ)、『追いついた近代 消えた近代』(岩波書店)などがある。