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少子化を女性の問題にするおかしさ はしごを外されてうんざりの若年層

河崎環 コラムニスト

 2019年の日本の出生数は、国立社会保障・人口問題研究所の予想よりも2年早く90万人割れが確実となり、1899年の調査開始以来、いよいよ過去最少となる見込みだ。私たちがあらかじめ覚悟していたよりも、日本の少子化は加速している―。昨年末、私たちの周辺にはそんな空気が立ち込めた。

 私は、これまで20年近く子育てや教育、現代女性の生き様や女性活躍についてさまざまな記事、コラムを発表してきたコラムニストである。学生時代に22歳で結婚、子どもを出産し、日本・米国・スイス・英国の4カ国で2人の子どもを育ててきたという少々珍しい経歴もあって、文字通りこの四半世紀近くのあいだ、子育て当事者たる母親として、子育てとその周辺の話題にどっぷりと浸かってきた。現在46歳で、大学を卒業して社会人となった長女23歳と、中学生の長男14歳がいる。

 少子化は、団塊ジュニア(1971~74年生まれ)の人口がピークだった1973年に生まれた母親の私が、否応なく感じさせられてきたことでもある。なにしろ長い母親生活のあいだ、同級生たちが一向に結婚せず、出産しなかったので、私は同世代の〝ママ友〟なるものの出現をひたすら待って、孤独に子育てしてきたのだ。

 同世代の女性が、なかなか結婚・出産しない。だから同級生で集まると、私は同世代のキャリアウーマンたちの中でただひとりの〝ママ〟であるという時期が長かった。

 「私たちもいつか子どもを産まなきゃとは思うんだけど、いまは仕事が忙しくて」と言う彼女たちが、身軽にきらびやかに東京や香港やニューヨークやロンドンを飛び回るのを、地元の公園で子どもを遊ばせながら指をくわえて見ているような状況に、いたたまれなくなる時もあった。

団塊ジュニアの出産観は二極化

 団塊ジュニア世代、または第2次ベビーブーマーと呼ばれる私たちの世代は、人数の多さに加え教育意識の変化も相まって、受験が過酷だった。中学受験業界で〝女子御三家〟と呼ばれる都内の私立女子進学校に通った私や同級生は、特に厳しい受験人生を送ってしまったかもしれない。

 1986年の男女雇用機会均等法施行のときは中学生で、女子であろうとも四大卒が学力上位層のスタンダードとなり、就職も総合職志向。そうでなければ「能力がない」ということになって恥ずかしい、という風潮があった。

 いわゆる高学歴女子と呼ばれる同級生たちの結婚ブームは、まず26歳ごろ。次に32歳ごろだった。しかし彼女たちはなかなか子どもを出産しなかった。

 団塊ジュニアの出産観は二極化しており、産む人はわりあい若いうちに「産みたい、子どもが欲しい」と積極的に産んだ。だが数としては決して多くない。また、出産数も1人か、2人だった。

 結婚することや産むことに躊躇する人は、結論を引き伸ばすうちにやってきた40歳という年齢の出産リミットを目の前にして大いに悩み、悩みぬいた結果として不妊治療へ進む人もいれば、リミットを過ぎて「もう産まなくていいのだ、悩まなくていいのだ」と安心する人もいた。

 そのころ私が、働く女性向けに「産むか、産まないか」といったウェブコラムを書くとPV(ページビュー)が驚くほど跳ね上がり、大いに読まれた。女性読者の中には涙ながらにSNSに感想を書く人、あるいは仕事仲間のつてで私と現実に会い、思いの丈を吐き出してくる人もいた。

出産は「キャリアの減速」を意味

 出産しない同級生たちはいわゆる〝DINKS(Double Income No Kids)〟で、サラリーマンでも夫婦の収入が合わせて2000万円を超え、女性側が医師や弁護士だったり外資系投資銀行やコンサルティングファーム勤めだったりのハイキャリアの場合には世帯収入が4000万~5000万円を超えるなんていう人も決して珍しくはなかった。

 そんな同世代の女性たちにとって、出産は

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