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安全保障に科学的議論を

政策選択の羅針盤に

多湖淳 早稲田大学政治経済学術院教授

 国際政治を科学するという内容の書籍(多湖淳『戦争とは何か』中公新書、2020年)を先日上梓した。そこで紹介したようなエビデンスに基づく安全保障の科学的研究を強く意識しつつ議論を展開したい。

 自分は日頃から英語での研究発表を軸として活動し、再現性と透明性を伴うデータでの裏付けがある、またはゲーム理論を用いた演繹的・理論的な議論という意味での科学たるグローバル・スタンダードの国際政治研究の中で生きている。そういった「科学的な国際政治学」が持つ狭さやバイアスはもちろん認識した上で、しかし、日本ではあまり紹介されているとはいえない我々の視点から日本の安全保障を考えてみたい。

連合国と核という大前提

 ただし、いきなりデータ分析やゲーム理論の話をする前に、第二次世界大戦後の安全保障の大前提を駆け足で整理しよう。まず、アメリカやソ連、イギリスの率いる連合国(United Nations)が勝利し、それがそのまま国際連合となり、国際秩序の軸となる制度として存在している。国連は、難民問題といった数々の新たなチャレンジに直面するものの、そして当初の世界の警察官として期待された機能は果たせないものの、平和維持の分野や人権、その他の国際的な専門協力においてかけがえのない役割を担ってい
る。

 次に、核兵器の登場である。核兵器は圧倒的な破壊力により、通常兵器とは異なる。相互確証破壊というメカニズムを通じ、核抑止が成立し、核がある中での安定が生まれている。すべての国が核兵器を持った方が安定するという議論さえあるほどであるし、そこには理論的な意味での一貫性がある。核兵器を米ソの二大国が大量に保有し、相互確証破壊によって互いに相手ににらみを利かせ、ゆえに戦争が起きないという安定が1990年代まで、そしてソ連がなくなりロシアになった今も基本的な部分で存在している。

自前の防衛か同盟か

 このように国連が世界の警察官として機能ができず、ゆえに自助努力での安全確保が国際社会の基本であるという現実の中、自前の防衛による抑止政策や同盟による抑止政策は安全保障を語るときにスタートとなる認識である。

 もちろん、後述するように敵を作らないというさらに賢い政策もあるのだが、他国とはどうしても利害対立が生まれるという前提を置けば、敵はどうしても生まれてしまうものなのかもしれず、そんな敵はいつ自分に襲い掛かってくるかもしれない。その攻撃を防いで平和を保つには、自分が

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