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熊谷晋一郎インタビュー 障害当事者から見た「やまゆり園事件」

匿名の権利と実名公開の必要性 メディアは数十年つきあう覚悟を

熊谷晋一郎 東京大学先端科学技術研究センター准教授

 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月、重度障害者19人が殺害される事件がありました。殺人などの罪に問われた元職員の死刑判決は今年3月に確定しましたが、犠牲者らの大半が匿名のまま審理されたことをはじめ、事件と報道のあり方をめぐる問題の答えは出ていません。脳性まひで車いす生活を送る熊谷晋一郎さんに、事件と審理に対する受け止め方やメディアのあるべき姿などについて伺いました。(聞き手 本誌編集長・久保田正、撮影 編集部・小林正明、インタビューはオンラインで行いました)

――今回の事件は19人の方が殺されるという痛ましい事件だったにもかかわらず、被害者は匿名でした。これだけの重大事件でもあり、従来の感覚では理解できませんでした。熊谷さんは事件の発生段階から関心をお持ちで、追悼集会を呼びかけられました。今回の裁判をどのように受け止めましたか。評価も含めてお聞かせください。

拡大熊谷晋一郎さん=2019年7月2日、山内深紗子撮影
熊谷晋一郎 日本の司法というものが、こういった優生思想に基づいた犯行をどのように捉えるのか、そしてどう対応するのか、関心を持って見てきました。司法は犯行の背後にどこまで踏み込むのかということです。量刑の対象は植松聖被告という特異な人物でしたが、事件の背後にどういったことが影響しているのか知りたかったですし、それは個人に還元できない社会的な背景があるのではないかと思っていました。犯行に至った思考や行動のプロセスなどを含めてです。

 裁判が進むにつれ、初めて明らかになったことがいくつかありましたし、裁判自体は被告の思考形成や犯行の直接の引き金になったものは何だったのかなど、本質に迫ろうという姿勢も見えました。しかし、それに対して被告が自己洞察を深めて、正直に自身を開示したかというと、残念ながらそうではありませんでした。このままほとんどのことは分からずに終わってしまうだろうと感じました。

――今回の事件を見てきて個人的に思ったのは、優生思想に基づいた被告の差別意識は、なぜそうした考えを持つことになったのかは分かりませんでしたが、一方で教育や躾などがもっときちんとなされていれば、ひょっとしたら事件は防げたのではないか、というものです。今回の裁判では、その点については意味のある裁判だと感じました。ただ、われわれ記者は、裁判の公開性が損なわれる匿名の問題にも強い関心を持ちました。被害者のほとんどの方は実名ではなしに、「甲A」「乙B」といった匿名で呼ばれていました。この匿名審理については、どういう印象を持たれましたか。

差別から逃げるための匿名

熊谷 匿名についてはスティグマ(注1)の問題、つまり障害者に対する差別や偏見といった問題と関連づけて扱うべきだと考えています。この関連づけ方には二つあります。一つは「差別から逃れるための匿名の権利」、もう一つは「差別をなくすための実名の公開」です。

 まず、「差別から逃れるための匿名」ですが、差別や偏見を向けられている人はひとまず匿名化されなければ安全な場所に逃げられません。例えば、依存症患者に対する差別は非常に強いものがありますが、この依存症からの回復に必要なプログラムの中に「アノニマスミーティング」というものがあります。「アノニマス」とは「匿名」を意味していて、普段の社会生活で使っている名前とは異なった名前を使うことで安全な場所を作って、多くの人が聞いたら眉をひそめるようなことを含めて正直に自分の生活や思いを振り返る、というプログラムです。そういう「場」を経験することで、差別や偏見で苦しんでいる人たちは、初めて自由になれます。ですから、強烈な差別を向けられている当事者やその家族にとっては、安全な「シェルター」に避難するためにも、匿名であることは極めて重要です。同時に、匿名の状態で安全な場所に身を置くことで責められるようなことがあってはいけません。守られるべき大前提です。

――法廷では、一般傍聴席と遺族の方々の席の間に遮蔽板が置かれ、顔が見えないようにする措置がとられました。これも、「匿名の権利」を守る観点からすると同じなのでしょうか。

熊谷 どういった意向で遮蔽板が設けられたかは詳しくは分かりませんが、遺族の方々の安全を配慮しての設置だったと考えられます。

――被害者や遺族の方々が匿名を選択せざるを得なかったのは、障害者に対する差別や偏見が社会にあったからなのでしょうか。

熊谷 匿名を選択すべきでないという点については(メディアの方々と)同意見です。ただし、匿名を選択させた「犯人」が誰なのかを間違えてはいけません。「犯人」は家族の方々ではなく、差別を持っている社会の私たち一人ひとりです。私たちが匿名を選ばせた「犯人」で、その結果が匿名といえます。

(注1) スティグマ 特定の属性を持った個人や集団に対する、偏ったイメージや、ネガティブな感情、そして、排除したり過度に同化させようとしたりする行動。もとは、古代ギリシャで奴隷や犯罪者の体に焼き印された徴を指した。

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筆者

熊谷晋一郎

熊谷晋一郎(くまがや・しんいちろう) 東京大学先端科学技術研究センター准教授

1977年、山口県生まれ。東京大学医学部医学科卒、小児科医。当事者研究が専門。脳性まひで車いす生活を送る。著書に『リハビリの夜』(医学書院)など。共著に『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』(大月書店)、『発達障害当事者研究』(医学書院)、『つながりの作法』(NHK出版)など。