2020年07月30日
台風や地震といった自然災害で死者や行方不明者が出たら、氏名などの最小限の個人情報を原則速やかに公表する。神奈川県は今年の春、地域防災計画を修正し、こうした独自のルールを設けた。
元フジテレビキャスターの黒岩祐治・神奈川県知事(65)は、昨年10月の台風19号や今年2月の土砂災害では、死者・行方不明者の氏名を公表しなかった。この時、黒岩氏は「氏名公表は必要だ」としつつ、まずは全国統一的な基準づくりを国に働きかけると発言していた。国に先んじて独自のルールをつくることには否定的だった。日ごろ神奈川県政を取材し、速やかな公表を求めてきた私としては、良い意味で裏切られた。
なぜ、黒岩氏は方針を変えたのだろうか。すでに、この新たな氏名公表のルールが適用された災害も起きた。本格的な台風シーズンの到来を前に、昨年秋からの一連の流れを振り返ってみたい。それはおのずと、自治体トップの方針転換という特ダネを打ち損ねた私の反省記にもなる。
昨年10月12日夜、伊豆半島に上陸した台風19号は、神奈川県上空を通過した。箱根で12日の降水量が全国歴代1位の922.5ミリを記録するなど、県西部を中心に猛烈な風雨をもたらした。県内全域で土砂崩れや冠水被害が相次ぎ、時の経過とともに行方不明者は死者へと変わった。死者は県内だけで、川崎市と相模原市で計9人を数えた(そのほか、川崎沖でパナマ船籍の貨物船が沈没し、7人が死亡、1人が行方不明)。
神奈川県はこの台風で、風水害では実に33年ぶりに災害対策本部を設けた。本部では、県内の被災状況の把握のほか、開設された避難所の支援、国や市町村など関係機関との連絡調整といった様々な業務をこなす。訓練は積んでいただろうが、いざ本番となると、混乱したことは想像に難くない。死者や行方不明者の氏名をめぐる「失態」は、そうした中で起きた。
台風通過後、次々と明らかになる死者や行方不明者の氏名を、県と県警は公表しなかった。県警の古谷洋一本部長(当時)は、10月17日の定例記者会見で、氏名公表について「特に考えていない」と述べ、その理由を「(県の)災害対策本部で取りまとめることになっているので、そちらの判断に従う。突合するため、お互いの情報は共有しますが、どう出すかはあちらの判断というふうに考えています」と説明した。
その翌日、黒岩氏は定例記者会見で、個人的な考えと断ったうえで「かつて報道に携わった者として、安否不明者の氏名公表は必要であると考えています」と語った。一方で「県では今、被害に遭われた方の氏名については把握していない」と言葉を続けた。
思わず首をかしげた。前日の県警本部長の発言は、同僚の記者から聞いて知っていた。県警は、県と情報を共有すると言っている。被災から1週間近く経ちながら、被災者の情報が入っていない。そんなことがあるのだろうか。すかさず手を挙げ、「間違いなく把握していないのでしょうか」と問いただした。
黒岩氏も不安を覚えたのだろう。会見室に控えていた担当課長に「どうですか」と確認した。課長は「県警からはちょうだいしておりません」ときっぱり言った。私が「県警は報告したと言っている」と念押ししても、「いただいておりません」と主張を変えなかった。
そう言われては、問い詰めようがない。質問を変えた。台風19号では、死者が出た13都県の多くが、プライバシーの保護を理由に、死者・行方不明者の氏名を公表していなかった。
黒岩氏はメディア出身者として、氏名公表は必要と考えていると明言した。それならばと、「国のルールづくりを待たず、知事の考えで公表することもできるのではないかと思うのですが」と聞いてみた。
「それは可能だと思います」。黒岩氏は認めた。だが言葉を続けた。「私自身が全国知事会の危機管理・防災特別委員会の委員長という立場でもありますから、その合意をもって全国統一的に進めるということが、一番ふさわしいのではないかと思っているところです」
黒岩氏は前月の27日、鈴木英敬・三重県知事に代わり、全国知事会の同委員長に就任したばかりだった。全国知事会はこの年の7月、前年の豪雨災害などの際、死者・行方不明者の氏名公表をめぐって自治体間で対応に差が生じたとして、国に対し、全国統一的な公表基準をつくるよう要請していた。
政府の防災基本計画は、死者と行方不明者の人数は「都道府県が一元的に集約し、調整を行うものとする」としている。だが、氏名公表の規定はない。これが自治体の対応の違い、ひいては混乱の元となっていた。
この課題に全国知事会の委員長として取り組むにあたり、自らの県が先行することで、知事たちの足並みを乱したくない。黒岩氏の発言からは、そんな思いがにじみ出ていた。
氏名を公表しない理由の一つ目の「把握していない」は、間もなく撤回されることになった。
10月18日の会見で、黒岩氏自身、「県警の情報は何で入ってこないのかと、正直違和感を持ったところです」と口にしていた。会見後、県は県警の主張となぜ食い違いが生じているのかを解明しようと、災害対策本部に詰めた職員に聞き取り調査を実施した。
その結果を持って10月29日、県くらし安全防災局の局長と担当課長の2人が、記者クラブに来た。隣にある記者会見室の隅のテーブルを囲み、レクが行われた。聞き取り調査から導き出された結論は、「県は県警から氏名などの情報をもらっていた」だった。
局長らの説明によると、
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