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「6・23」で終わらぬ沖縄戦

絶えぬマラリア死、実態追う

大矢英代 ジャーナリスト、ドキュメンタリー監督

今も戦争の延長線上に

 「大矢さん、あなたの番組企画案は沖縄戦についてですよね? なんで今回の会議に持ってきたんですか?」

 2015年11月、テレビ朝日で開かれたドキュメンタリー番組会議でのこと。プロデューサーは、意味が分からないという表情で私に問いかけた。当時、沖縄の系列局で報道記者をしていた私は、かねて構想を温めていた番組の全国放送枠を求め、渾身の企画書を抱えて会議に望んでいた。記者4年目の私にとって、初めてとなる番組企画。主人公は沖縄戦に従軍した96歳の元日本兵だ。番組内容を説明した直後、プロデューサーから開口一番に問われたのが冒頭の質問だった。私は質問の趣旨が分からず困惑した。企画案のねらいが不明瞭だったのかもしれない。改めて、体験者の高齢化が叫ばれる今、どうしても証言を伝え残したいと強調した。

 「いや、それは分かるんですけど……」とプロデューサーは言った。

 「今回の会議では冬季の番組ラインナップを決めるんですよ。戦争の番組なら夏ですよね?」

 企画案はあえなくボツになった。内容に懸念があるならまだしも、季節がずれているという理由で不採用になるとは想像もしていなかった。「8月ジャーナリズム」と呼ばれるものが存在することなど、私は知らなかったのだ。

 それは、沖縄メディアと本土メディアの間に横たわる戦争への意識の違いを露骨に表していた。沖縄メディアにとって、戦争は避けることのできない永久のテーマだからだ。

 例えば、米軍基地問題の取材のためには、原点である沖縄戦の歴史を学ばねばならない。沖縄の子どもの貧困率は29.9%(沖縄県・2016年)で、全国平均の約2倍といわれているが、深刻な貧困や社会格差の取材をすれば、県民の生活を破壊し尽くした沖縄戦と米軍統治からの社会保障の遅れの問題に行き着く。戦後70年以上が経って戦争トラウマ(PTSD)を発症し、苦しんでいる戦争体験者たちの取材では、彼らにとって「終戦」など決して訪れないのだということを知った。

 今年4月には那覇空港の滑走路近くで不発弾3発が見つかった。沖縄が日本に復帰した1972年から2018年までに処理された不発弾は、3万8003件(沖縄県・平成30年版消防防災年報)に上り、1年間で平均約800件もの不発弾処理が行われていることになる。そして、被害を受けた土地というだけでなく、戦争のために使われ続ける沖縄の姿がある。これまで沖縄からベトナム、イラク、アフガンの戦場へと米軍が出撃したように。

 沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない。沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている。

 その上で指摘したい。沖縄にも本土の「8月ジャーナリズム」なるものが確かに存在するということだ。6月23日の慰霊の日である。毎年6月が近づくと慰霊の日に向けた特集が組まれ、6月23日には県内メディアは総力をあげて取材にあたる。早朝、糸満市摩文仁の平和祈念公園の朝日から始まり、戦争体験者や遺族たちによる平和行進の取材、式典の中継と、報道は沖縄戦一色になる。

 私は5年間、毎年慰霊の日の取材に全力を投じながらも、心のどこかで一抹の疑問を抱いていた。それは私が記者になる以前の学生時代、「6月23日では終わらなかった沖縄戦」を取材してきたからだろう。「もうひとつの沖縄戦」とも呼ばれる八重山諸島の「戦争マラリア」である。

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筆者

大矢英代

大矢英代(おおや・はなよ) ジャーナリスト、ドキュメンタリー監督

1987年、千葉県出身。琉球朝日放送の記者として制作した「テロリストは僕だった」(2016年)でプログレス賞最優秀賞など。フリーとなり、映画「沖縄スパイ戦史」(18年、三上智恵との共同監督)で文化庁映画賞優秀賞ほか。米カリフォルニア大学バークレー校客員研究員。『沖縄「戦争マラリア」―強制疎開死3600人の真相に迫る』で山本美香記念国際ジャーナリスト賞奨励賞。