2020年12月30日
勝ち馬に乗る。
「一強政治」について考えた時に、真っ先に浮かんだのがこの言葉だ。政治家も、国民も、ようは勝ち馬に乗りたいのだ、と。2020年9月に行われた自民党総裁選では、各派閥が雪崩を打ったように菅義偉氏に支持が集まった。自民党の政治家たちは、新しい政権で優遇されること(あるいは冷遇されないこと)を求めて勝ち馬に乗った。
国民は、と言えば、菅新政権の誕生を支持率70%で歓迎した。コロナ対応のまずさから、安倍政権の支持率は30%台まで落ちていたにもかかわらず、その中枢にいた菅氏を、まだ何もしていないのに支持した。自民党総裁候補3人の名前が出揃う前までは、世論調査の「次の総理にふさわしい人」では常に石破茂氏がトップだった。菅氏の名前は、ぎりぎり10位以内に入るかどうかという程度だったのに、テレビの報道番組やワイドショーが「菅氏有利」と報じ始め、たたき上げの苦労人だの、パンケーキ好きだのと菅氏の物語が広く語られるようになると、「次の総理にふさわしい人」もまた、菅氏がトップになった。私たちは、こういう国に生きている。
私は、野党の衆議院議員である小川淳也氏を17年間にわたって記録したドキュメンタリー映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」を監督し、今年6月に公開した。小川とは03年に出会い、時折カメラを向けて話を聞く関係だったが、映画にしようと考えたのは4年前の16年のことだった。きっかけは、ある食事会での出来事だ。小川と秘書、政治ジャーナリストの田﨑史郎氏、民放テレビ局のプロデューサーと私は、年に2度ほどのペースで、その時々の政治状況の話題を肴に盃を傾ける会を続けてきた。この時期の小川は野党民進党の所属で、政権交代には程遠い自らの党のふがいなさを嘆くと同時に、弱い野党の中でさえ出世できない自らの状況に苦悩していた。安倍政権はと言えば、閣僚の相次ぐ失言や「魔の2回生問題」など、それまでの政権であれば支持率低下→退陣となってもおかしくないような状況にありながら、盤石だった。
私は酒の勢いも手伝い、安倍首相に近く、余裕綽々で野党をこき下ろす田﨑氏に食ってかかった。「こんなに強権的な政権はない。選挙に勝ってさえいれば、何をやっても許されると思っているのか」。かなり強い口調だった私に、田﨑氏はたしなめるように言った。「安倍さんを批判する人はみんな感情的になるんですよね。でもそれじゃ、安倍さんを倒せないんですよ」。この言葉は、論理はともかく、現実を捉えているという意味では説得力があった。そうした政治状況と、私が信頼し、真っ当で優秀な政治家だと思える小川淳也が政界でまったくうまくいっていないことが、私に映画化を決意させた。「安倍一強」の政治状況の中にあって、苦悩し、もがく一人の野党政治家の姿を通じて、日本政治の一断面を世に問いたいと考えたのだ。つまり私の映画は、「一強政治」の産物とも言える。
そもそも小川淳也と知り合ったのは、小川と私の妻が香川県立高松高校で同学年だったことがきっかけだった。当時フリーのテレビディレクターで、人物ドキュメンタリーを志向していた私は、様々な職業を生きる人を取材することを望んでいた。とりわけ、政治家には興味があった。だがテレビの場合、放送局の政治部に所属していないと、なかなか永田町の議員には近づき難い。私は、初出馬の人であり、なおかつ妻との縁がある人なら自分でも食い込めるかも知れない、という助平根性から、カメラを持って高松に向かった。だから最初は単なる興味本位だった。
ところが、小川に会ってみると実に興味深い人物だと感じた。「政治家がバカだとか、政治家を笑ってるうちはこの国は絶対に変わらない。だって政治家って、自分たちが選んだ相手じゃないですか。自分たちが選んだ相手を笑ってるわけですから、絶対に変わらないと思ったんですよね」。まっすぐな目で、政治家を志した動機と、理想の社会について切々と語る32歳の青年。総務省の官僚として将来を嘱望されていたのに、ただ「社会をよくしたい」という使命感から、妻や親きょうだいら家族全員の猛反対を押し切り、あえて野党・民主党から出馬を決めたのだ。しかし一方で、こんなに青臭くて政治の世界でやっていけるのだろうか、とも感じた。清濁併せ呑む、という資質が当たり前とされる永田町で、こういう人物がどうやって生き抜いていくのか、継続して見つめてみたい、という気持ちにさせられた。
この03年の総選挙で、小川は落選し
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