特ダネの記憶「北朝鮮日本人拉致事件」
重なった、いくつもの偶然と幸運 17年を隔てたスクープ
阿部雅美 元産経新聞記者
特ダネを書いたからといって、必ずしも優秀な記者とは限らない。私は、その典型だろう。一つの事件(北朝鮮による日本人拉致)で、なぜ17年も隔てて2度も特ダネをものにできたのか、と後輩から問われることがある。いくつもの予期せぬ幸運と偶然とが重なった結果に過ぎない。
「変なこと」、ひと言端緒に現場へ
日本海側で3組の男女が行方不明になっていると報じた1980年1月7日付産経新聞1面。北朝鮮による日本人拉致事件の第一報だったが、「虚報」「捏造」扱いされ、他の報道機関が追随することはなかった
暇だった。1979年秋、警視庁クラブで仕切り(注・各担当のリーダー)の先輩と2人、警備・公安を担当していた。よど号ハイジャック、連続企業爆破、浅間山荘・連合赤軍――。70年代に続いた公安の季節は終わり、ベタ記事1本書かない月もあった。でなければ、夜回り先で「日本海の方で変なことが起きている」と耳にしても、放っておいただろう。「変なことって何ですか」とは問い返さなかった。まともな答えが期待できる相手ではなかったからだ。公安の夜回りは、いつも禅問答のようだった。
雲をつかむような話だ。地方紙でも見てみよう。思い立って日比谷の図書館に通い、日本海沿岸の県紙のとじ込みをめくった。記事検索システムなど思いもよらない時代だった。東奥日報、秋田魁、山形新聞、新潟日報―。「変なこと」は見つからなかったが、気になった記事が一つだけあった。富山の北日本新聞78年8月16日付社会面だ。海岸で散歩中の若い男女が、4人組の男たちに襲われたが無事だった、という逮捕監禁・暴行傷害事件を報じていた。公安臭はしなかったが、犯人たちが男女を別々に押し込んだ袋を松林に置いたまま逃げた、とあるのが引っかかった。男女をどうしようとしたのか、なぜ逃げたのか、さっぱり分からない。興味をひかれた。この行(くだり)がなければ、いかに暇でも富山まで足を運ぶことはなかっただろう。北朝鮮も拉致も念頭になかった。富山湾の幸でも食べて引き返すつもりの気楽な出張だった。「わざわざ東京から来るような事件じゃないですよ」。訪ねた県警本部長に言われたが、紹介された捜査員の話を聞くうち、すぐには帰れない、と思い始めた。
以下、潜行取材を同僚にも悟られぬよう、「恋人作戦」と軽薄なタイトルを付けた当時の取材ノートと資料を元に経過をたどる。長期にわたるので、端折ることを容赦願いたい。高岡市の雨晴海岸。男女を入れた布袋、異形のゴム製サルグツワ、真鍮の手錠など8点ほどが遺留されていた。「これだけのブツがあれば、いける」と捜査員は思った。ところが、タオル以外は国内では製造も販売もされず、輸入されてもいなかった。日本には存在しないはずの物ばかりで、どれも工業の発展がひどく遅れた国で作られた粗悪品だったという。「外事ですかね」。単なる連想だった。「? そんなこと記者から聞かれたことないよ。日本語しか話していない。それに何より、動機の見当が、まったくつかない。こんな外事事件、あると思うかね」
いったん東京へ戻り、サルグツワを鑑定した赤坂の日本ゴム協会で「工業のひどく遅れた国で作られた粗悪品」を確認すると、富山へUターンした。現場に最も近い海辺の家を訪ねた。「ウチの女房が目撃していたんです」。事件前の浜で、襲われたアベックのほかステテコにズック靴、妙な風体の中年男4人を見たという。「日本人じゃない感じだったそうです」。なぜ、そう思ったのか。「全体の感じだそうです。なんとなく分かりますよね」。じかに犯人たちと接した被害者に確かめるしかない。すでに所帯を構えていた男女は、1年経っても得体の知れない恐怖が消えずにいた。犯人たちは何者で、自分たちをどうしようとしたのか、分からないままだった。怖くて取材に応じられない若夫婦に代わり、男性の両親が2人から聞いている話をしてくれた。
「通常事件じゃない」を直感
「男たちは日本人じゃない感じだった」。海辺の主婦と同じだった。「全体の感じから、なんとなく分かりますよね」。答えも同じだった。「全員35歳くらい。精悍に日焼けし、手際良く、訓練されている感じがした」。終始無言の犯人たちが日本語で一言だけ発したという。地元紙には「静かにしろ、騒ぐと殺すぞ」と定番の脅し文句があったが、実際には「静かにしなさい」だった。乱暴な犯行に似つかわしくない言葉遣いに強い違和感を覚えた。「犯人たちは何かを、じっと待っていたようだった。犬がほえる声がすると間もなくして、いなくなった気配がした」。犬を連れて松林を散歩する人がいたのだ。逃げた理由が、やっと腑に落ちた。
取材してみなければ分からないことばかりだった。「今頃、何を調べているんですか。(被害者は)幸い無事だったんだから、それでいいでしょう」と言われたことがあった。小さな事件。発生時の全国紙は県版ベタか3段扱いだった。女性の乱暴目的ではないかとする警察見解が載っていた。土地勘のある者たちの犯行か、素行不良者をリストアップといった、お決まりの続報は地元紙にあったが、現場取材の跡はなかった。
「通常のこうした類の事件とは、どこか違っている」。高岡警察署長の言葉には同意しかねた。どこか、どころではない。仮に犯罪にも常識があるとすれば、その域を超えていた。署長はこうも言った。「犯人たちは松林で日が沈むのを待っていたようだ。袋詰めの2人を車でどこかへ運ぶつもりだったのではないか」。男女を車に積んで逃げることは容易に思えた。一刻も早く現場を離れたいのが犯罪者心理だろう。なぜ、そうしなかったのか。何を待っていたのか。当夜の緊急配備は空振りしていた。不審車両の目撃情報はなく、犯人グループの前足も後足もつかめなかったという。
署長とは違うことを考え始めていた。車ではないのではないか。船ではないのか。連れて行こうとしたのは眼前に広がる日本海の向こうではないのか。飛躍が過ぎるとは思わなかった。私なりの、ごく自然な推察だった。遺留品、被害者証言などから、通常の事件ではないことは明らか
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