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世界は変えずに人々を発見する PTAと野党の交差点

岡田憲治 専修大学法学部教授

  第2次安倍政権以降、今日に至るまでの日本政治の迷走ぶりについては、もはや逐一挙げる必要もない。世界基準の民主主義国家の立憲的ルールすら公然と無視する現政権はもはや底の抜けたレベルであり、そして支持率は下がらない。この寛容なる有権者への絶望と懐疑も、野党とその支持者たちにはあるだろう。我々は正しき道を歩んでいる。だが彼らはまだ覚醒していないと。

 しかし、こんな民主政治の風景を前に、「正しいことを根気よく主張すれば必ず我々に道は開かれる」という非政治的ピューリタニズムは全く機能しない。それは政治を「作為」と位置付けた、500年以上前のイタリアのニッコロ・マキャベッリが教えてくれた政治知性の水準の後退である。

「まっとう」を誇る野党の罪

拡大2019年7月の参院選では、主要野党が統一候補を立てて全国32の1人区で10勝を挙げたが、新興政党の躍進もあって個別には思うように議席を伸ばせなかった。写真は立憲民主党の枝野幸男代表(左から3人目)ら野党各党の幹部とともに、参院選の候補者への投票を呼びかける岡田克也氏(左)=2019年7月13日、三重県四日市市

 筆者は一昨年、民主政治を連日破壊し続けていた当時の安倍政権の狼藉ぶりを前にして、「本当は何を一番守らねばならないのか?」という点に即して、人々の気持ちに全く沿わないことをやり続けているリベラル・野党陣営の非政治的行動習慣を指摘した(注1)。「正しいことだけ言うのは政治ではない」と。

 そもそも政治そのものの命である「言葉」を機能させないように、言論という議会政治の不可欠なコードを破壊させ続けている政治権力集団相手に、民主政治の競争(選挙)をするにあたって、野党は一致団結せず、個別のゲリラ戦のような虚しい戦いをやり続けているからである(注2)

 また、「ファクトを通じて民主政治の言論弾薬を補給する」社会の木鐸たる大メディアは、「魅力のない野党」の内実を掘り下げることなく、驚くべきことに「ファクト」ベースの言説と、「フェイク」による政敵攻撃を両論併記するという最悪の忖度と萎縮をして、己の存在基盤の自壊を呼び寄せている。

 それでは、野党陣営が「間違っている」のかと問えば、そんなことはない。自公政権が踏み潰していった立憲的ルールの擁護も、格差の是正と生活の底上げも、女性の権利の獲得も、すべて正面から否定できない価値を含んでいる。

 しかし、全ての人間が間違え、かつ失敗することを前提とする民主政治においては、政治的行動を評価する基準は、その政策や権力行使の内実の「正しさ」「邪悪さ」ではない。それは実に様々である。時には、「そんなことで政治を評価するなどとんでもない」という眉を顰めたくなるような言説すらも散見されるのが、民主政治の磁場である(注3)

(注1) 拙著『なぜリベラルは敗け続けるのか』(2019年、集英社インターナショナル)。
(注2) かつてはディストピアとして描かれたG.オーウェルの『1984年』の世界で起こったことを、現代日本政治では一部追い越してしまっている。100%の虚偽答弁が「虚偽であると認識されたまま放置」されている事態は、オーウェルすら想定していなかった。なぜならばオーウェルの世界は、「虚偽」ではなく「存在していなかったことにする」という、そこにギリギリの「作為」が発見可能だったからだ。
(注3) 何ら証拠を示すことなく「バイデンは不正選挙で勝った」と豪語する現職大統領に7千万人が投票するのが、現代スーパー・マス・デモクラシーである。

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筆者

岡田憲治

岡田憲治(おかだ・けんじ) 専修大学法学部教授

1962年、東京都生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。立教大学法学部助手などを経て現職。専攻は政治学。地域生活に密着した自治実践を通じて、民主政治の新たな可能性を探究している。著書に『なぜリベラルは敗け続けるのか』(集英社インターナショナル)、『ええ、政治ですが、それが何か?』(明石書店)、『デモクラシーは、仁義である』(角川新書)、『言葉が足りないとサルになる』(亜紀書房)、『権利としてのデモクラシー』(勁草書房)など。