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ネット右翼を改めて分析する

普通の人々が暴走するワケ

古谷経衡 著述家

 特にここ十年、私は差別的な言辞を繰り返すネット右翼は社会的底辺ではなく中産階級である、と主張してきた。彼らは大都市や郡部に限らず小規模・零細の自営業者や公務員、小規模病院の開業医、士業、企業の中間管理職などいわば「普通の人々=中産階級」に位置する人々ばかりだったからである。丸山眞男は1930年代に勃興した日本型ファシズムの「下から」の担い手を同じように「中間階級第一類」と名付けた。それは零細企業経営者、工場管理者や主任、独立自営農民、下級官吏など、いわば社会の下士官であった。こういった人々は、大資本家でもなく低所得者層でもないいわば「普通の人々」と言い換えることができる。

革命を支えたのは?

 ナチ党ははじめドイツ南部の自営業者や小資本家、ホワイトカラーから支持を受けた。それが北部の独立自営農民にまで拡大して党勢を拡張させた。1923年のミュンヘン一揆に失敗して投獄された獄中のヒトラーに、タイプライターを寄付したのも彼を支持する熱心な地元の篤志家だったという。そのタイプライターがヒトラーをして『わが闘争』を生ましめた。この篤志家は、決して歴史の表舞台に登場しない「普通の人」である。

 1959年のキューバ革命で、カストロやゲバラを支持したのはキューバの中産階級だった。キューバは長らく「アメリカの裏庭」の中にあって親米独裁のバティスタ政権が国政を牛耳っていたが、それに反発する中産階級が革命に参加し、支援した。革命の英雄・ゲバラはキューバで革命を成功させた後、カストロの慰留に反して「革命の輸出」の為にボリビアに飛ぶ。が、ボリビアでゲバラの革命運動は失敗し、地元の貧農に隠れ家を密告されて処刑された。キューバと違い、ボリビアは典型的なモノカルチャー経済により低所得者層が圧倒的で、中産階級が育っておらず「下から」の支持を取り付けることができなかったのだ。

 事程左様に、極端な思想や運動・行動を「下から」支え、参加するのはいつも、社会的底辺や貧困層ではなく中産階級であった。翻って21世紀、革命は幻想となり議会制民主主義が「一応」、工業国の中で確立した。中産階級は革命の夢を見なくなった代わりに、インターネット(動画)で知りえた、とされる過激な陰謀論や排外主義に飛びついている。ネットという新技術によって、「普通の人」が突然変質したのではない。中産階級には、急進的な運動や思想、ないしは陰謀論を「下支え」する素地がもともと存在し、それがネットという新しい媒体の中で可視化されたに過ぎないのである。

典型的中産階級がネトウヨに

ネットでの呼びかけに集まった、韓流ブームを批判する人々。東京・お台場のフジテレビを取り囲み、数千人規模のデモになった=2011年8月21日

 ネットが普及したことにより、他者を誹謗中傷しやすくなったことから事件が激増し、司法も警察も新しい形態の名誉毀損や侮辱事件に手を焼いている。ネットをツールとして行われる誹謗中傷や侮辱の動機は、「貧しさが故に金が欲しい」といったものではなく、「相手を畏怖させることに快感を抱く」とか「相手を懲罰する正義感に酔いしれる」などである。

 私はこれまで、ネット上で山のような中傷行為を受けた経験を有する。表現活動を行うものはある程度の批判を甘受しなければならないのは自明のことであるが、甘受のレベルを超えたと判断されるものについてはそのうち2件を民事裁判(名誉毀損、侮辱)、5件を内容証明で警告(同)に及び、これとは別に1件が刑事的展開を迎えている。

 2件の民事裁判はいずれも私の完全勝利で被告に賠償命令が出て確定した。被告は零細自営業者で、いってみればどこにでもいる「普通の人」だったが、過度にネット右翼的傾向が進み、差別的・排外的言辞を繰り返していたものである。5件の警告は訴訟に至らず解決したものの、相手方は教育関係者、自営業者、会社員等で、いずれも30代後半から60代であり、街ですれ違っても誰も気にも留めないようなこれまた「普通の人」であった。

 こうした人々に共通しているのはその情報受容力の狭隘さであった。例えばAの事件では、私の著作や原稿を一切読まず、「著書や原稿のタイトル、またはネット上で検索すれば判明する目次」だけで、名誉毀損に該当するネットでの書き込み等を恒常的に繰り返していた。引用箇所などはないし、また他者の本や原稿を読んでいる形跡も皆無だった。ほとんど全ての情報収集源はネット番組等の動画という、典型的なネット右翼である。Bの例では私のツイッターとフェイスブック―つまりSNSの投稿だけで私の全人格を否定する暴挙に及んだ。

 AとBはいずれも自己不動産を持ち、正業のある典型的な中産階級だったが、自己で体系的な主張を展開するだけの知識量を持たず、また仮に何かを主張してもそれはネット動画で誰かが喋った「受け売り」に限局された。

 「普通の人」つまり中産階級は、通常社会の中における経済的階級を指すもので、情報受容力の高低とは全く関係がない。これまでの人生で読んできた書籍の冊数や学位、観てきた映画や愛好する音楽の趣向とは全く切り離されて分類されている。日本における中産階級は、およそ世帯年収なら500万~1千万円強(個人なら400万~1千万円)の範囲である場合が多いが、前述の相手方は、基本的にこの範囲内に収まっていると類推される。つまり大資本家でも低所得者層でもない「普通の人」なのである。

情報受容力が高い中産A類

 現代日本社会では今や8割を超える人々が市部に住み、何かしらの組織に雇用され、または事業収入を継続的に得ている人々がほとんどである。当然こういった社会になってくると、中産階級の全てが「暴走」に及ぶ、とは言い難くなってくる。そこで私は、この国の中産階級を、情報受容力に限局して、以下の二者に分類する。ひとつは「中産階級であって、情報受容力が高い・中産A類」と、もうひとつは「中産階級であって、情報受容力が低い・中産B類」のふたつである。

 中産A類は、主に古典的な既存メディアから情報を継続的に受容するものである。古典的な既存メディアとは、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・書籍の5種類のことを指す。中産A類は基本的に知的探求に貪欲で、可処分所得の中で「有料の知的媒体」に支出する金額が高い傾向にある。彼らは「有料の知的媒体」に支出するので、テレビについては無料の民放ではなく、有料のCSや衛星放送の能動的な契約を好む。また、当然月ぎめで支出する新聞購読習慣があり、都度支出する雑誌、書籍の主力購読層と重複する。中産であるが故に自家用車を持ち、一日の生活様態において勤務時間であってもマルチタスクを要求される場合が多く、所謂「ながら聞き・運転・作業中」でも並聴できるラジオへの依存度が高い。ラジオ媒体は近年劇的変化を遂げ、「ラジコ」で民放各局が横断的に共有され、電波の届く聴取範囲(聴取圏)に関係なく生放送をアーカイブとして有料で聞けるようになった。ラジコの登録者数は今や1千万人に迫り、そのうち約1割弱の約70万人が有料会員である(2020年3月)。日本経済新聞電子版有料会員数が約77万人(2020年6月)であることからしても、情報そのものに支出するという意味では、いまやラジオさえも「有料の知的媒体」になりつつある。

 中産A類は、基本的にはこういった古典的既存メディアへの信頼度が高く、その枠外から発せられる情報(ネット)への信頼度をやや低いとみなしている。最も重視するのは情報の突飛性や斬新性ではなくファクト(事実)で、また

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