石橋学(いしばし・がく) 神奈川新聞川崎総局編集委員
1971年、東京都生まれ。早稲田大学卒。94年、神奈川新聞社に入社し、川崎多摩支局、相模原支局、報道部次長兼論説委員などを経て、2018年から現職。長期連載「時代の正体」取材班。共著に『時代の正体 vol.1~3』(現代思潮新社)、『ヘイトデモをとめた街』(同)、『ヘイトスピーチ攻防の現場』(社会評論社)など。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
ヘイトスピーチに中立の立場はない
在特会の悪行の数々は知ってはいたが、記事にしたことはなかった。「取り上げることで彼らの主張を広めることになる」「こんなひどいことを言う連中は誰にも相手にされず、いずれいなくなる」。並び立てた理由は、向き合うことを避けるためにひねり出した屁理屈に過ぎなかった。桜井会長は抗議と称してマスコミ各社に押しかけ、その動画をインターネット上に拡散させる嫌がらせを繰り返していた。「下手に触れば面倒なことになる」との思いが腰を引かせていた。
差別活動家の思うつぼだった。差別という加害と被害の問題を「どっちもどっち」という言葉遣いの問題にすり替えたのも、目をそらす理由を探した結果に過ぎなかった。そうして記事を書かずにやり過ごすことができるのは、私が直接の被害を受けないマジョリティーだからだった。何より被害が見えていなかった。
私が最初に書いた記事は、たった30行のベタ記事だった。紙面の隅に恐る恐るといった扱いだった。主催を「市民団体」と表記し、さもまっとうな団体であるかのように扱ってしまっていた。その後、長文のルポなどを書き、そこでは彼らの醜悪なさまを描写してはいるが、その当時はそれだけだった。
川崎市も神奈川県警も何ら対策を講じることなく、ヘイトデモを許可し続けた。市民の尊厳が踏みにじられているばかりか、具体的な危害を加えられるかもしれないという危機感を欠き、「何がヘイトスピーチか線引きが難しい」といった行政側の言い訳を垂れ流すばかりだった。傍観者のようにして書かれた記事は、新たな傍観者を生むだけ
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