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特ダネの記憶 豊島産廃事件―― 映像と実音で刻んだ民の叫びの記憶

テレビ報道で島民覚醒 30年続く豊島「ゴミ戦争」

曽根英二 山陽放送元記者、ジャーナリスト

 「『おらえ』かなあ。辛抱せいよ。でないと嵐の船のように反転するぞ」と。

 岡山と香川の間の備讃瀬戸に浮かぶ「豊か」な島と書く豊島[てしま](香川県土庄町)が特別の日を翌日に控えていた。産業廃棄物撤去の最終船が出る。島挙げてのゴミ戦争のリーダーの安岐正三さんは「おらえ(こらえ)」でやって来たと話す。2017年3月27日のことだ。


 希代の弁護士、中坊公平さんを味方に、産廃紛争では初の「国の公害調停」で、「香川県の責任」を問い、「産廃の撤去」を勝ち取った。

 強気の香川県や県議に姿勢を変えさせてみせる、と島を挙げてあの手この手の草の根の運動を展開した。安岐さん自身、ようやく実現させた現地調査で、磯のカキからもダイオキシンが出て、「加害者になりかねない」と家業のハマチ養殖を廃業する辛酸をなめた。県が謝罪に追い込まれた調停合意まで7年かかった。

 豊島の西4キロにある「アートの島」直島の製錬所内に溶融炉を建て、溶かして処理する公費による産廃の撤去に17年を要した。合わせて24年の歳月だ。

 とっくり状のツボ穴が産廃の山の下から次々に見つかって、撤去必要量も現地調査の5割増の91万トンに膨らんだ。1日、300トン、アリが引くように専用船で直島に運んでの溶融で、「おらえ」なしには、実現できなかっただろう。

 二つの島をリンクさせ、燃焼、溶融、無害化、再利用で、第2の豊島を作らない。28.5ヘクタールの現場から、産廃を撤去する「世紀の実験」とも言われる事業が4年遅れで大詰めを迎えた。

 「産廃撤去が終わると、どんな地形になるのか、ようやく見えてきましたわ。映像撮らんと」と、万感の思いの安岐さんは広報役であり、見届け役でもあった。

 ドローンで撮ると渓谷のような現場に、直径が数メートルから数十メートルの穴ぼこが百を超え、赤や茶、黒などの五色沼の様相。豊島の産廃撤去の完了は、緑の山が戻る「原状回復」ではなく、業者が環境を破壊し尽くした後の無残な「現状」になったという厳しい現実を突きつけていた。

 安岐さんは憮然とした表情を隠さない。「想像した姿と違う。残りの産廃直下の汚染土壌は新技術の『水洗浄』で、これからです」。現場水の排出基準達成や、跡地をどうするのか、など課題は残る。自然海浜に戻すには、遮水壁を抜く必要がある。香川県がどう応えるのか。「それでもここまで、ようたどり着いた」。安岐さんは気を取り直して、上を向く。

 24年の歳月と国民の税金800億円をかけ、ようやく「マイナスからゼロに戻る」という厳粛な事実。事件発生から中坊さんとの出会いまでの3年を入れれば、豊島住民には27年の歳月となる。

「東京のゴミが……」、取材は愚痴から

拡大東京のゴミ? 大量の産廃がどこから運ばれてきたのか、手がかりを探す筆者=1990年6月、山陽放送提供

 海を挟んで東隣の兵庫県警がゴミ船を追い、産廃不法投棄事件として強制捜査に踏み切ったのが1990年11月16日。山陽放送は、その半年前から取材を始めた。「東京のゴミが来ている島があるらしい」。小さな新聞記事がきっかけだった。かつての宇高連絡船の本州側の玄関口、岡山県の宇野港から小豆島行きのフェリーで40分、豊島の小さな埠頭に着く。航行中は壁として閉じられているランプドア(傾斜路)が陸側に降ろされると、閉ざされていた空間が一つにつながる。

 「ここはゴミの島」

 産廃満載のダンプカーがフェリーから上陸したかと思うと、今度は、隣の産廃バラ積みのゴミ船からもダンプカーが上陸。四半世紀を超えて続くことになる豊島通いが、「豊島産廃の記憶」を刻む。

 「犬も歩けば棒にあたる」は、「朝日ジャーナル」の名物編集長であり、TBS系「NEWS23」のアンカーマンだった筑紫哲也さんがよく使ったフレーズだ。「だから週末は東京を出て過ごす」。地方の小さな出来事に見えても、重大な事実につながったりする、とタフだった。

 久米宏さんがキャスターのテレビ朝日系「ニュースステーション」に対抗してのスタートから半年、90年のゴールデンウィークには、「NEWS23」初の全国キャラバンを敢行した。筑紫さんが自ら出張っての全枠中継。岡山・高松の「岡高エリア」からは、世界の長大橋の「瀬戸大橋開通の光と影」を橋脚の島、与島から放送。私もリポートした。

 大橋を渡って岡山市内で深夜の打ち上げとなった。「バブルの一方で地方は過疎、高齢化、嫁不足。そこにいる記者の私も悶々としますよ」と愚痴った。「中央と結ぶ何かないかな」と筑紫さん。「東京のゴミが来ている島があるらしい」と私。「やろうよ」ということになった。

 調べてみると瀬戸内海に浮かぶ香川県の「豊島」だった。バブル景気真っただ中の括弧つきの「豊かな島国」ニッポンの現実を見せてくれる島が「豊かな島」。これは出来過ぎ、神業かなと思った。

 豊島は映画『二十四の瞳』で知られる小豆島の西4キロにあり、周囲20キロ、1600人(当時)が住む。55年の「昭和の合併」で小豆島の土庄町に吸収された、言わば離島のさらに離島。「アートの島」直島の東4キロにあるという方が、通りが良くなるにはまだまだ時間が要った。

 90年5月17日、初めてカメラクルーを出す。筑紫さんに愚痴ってから10日ほどでの出動、とにかく「いま」を撮っておかないと。私は別件で動けず、高松から同僚記者に行ってもらった。

 豊島の南東部の海べりの山が切り崩され、横づけした船のクレーンが動き、産廃陸揚げの真っ最中の映像が海上から撮れた。「豊かな島」が壊されていた。

 6月6日、業者が取材に応じた。美しい豊島の南沖に1隻の船。接岸するとスルスルとオイルフェンスを伸ばした。ゴミの海上への拡散を防ぐためだ。巨大なバケットが産廃をつかみ上げ、アームを振って岸壁に投げ降ろした。ここは「ゴミが降る島」だ。

 2階に運転席があるようなダンプカーがボロ切れやテープを引きずって産廃の山を登り、谷底めがけて投棄する。

 「どこから?」

 「横浜」

 「どれくらいかかりました?」

 乗組員が指2本を立てた。横浜鈴懸埠頭から2日かかっていた。船には巨大なホースとろうとがついていて、海砂利採取船だと分かる。「カラ船よりは」と、帰りをゴミ船にしていた。

 切り崩した土砂は建設中だった関西国際空港の埋め立て用に売られ、代わりに「建築廃材」という名の産廃が運ばれ、埋め戻す。小豆島の港湾業者ゆえに香川県の許可が取れたと本人は言う。「大手ディベロッパーが250億から300億円かけてホテルを建ててくれれば」と、「一石三鳥」と言わんばかりだった。

【豊島産廃事件】
 瀬戸内海の豊島で1980年代に、産廃処理業者が車の破砕ゴミや廃油などを大量に不法投棄した。兵庫県警が90年に産廃処理業者を強制捜査。業者は有罪が確定したが、産廃は島に残った。住民らが産廃撤去などを求めた公害調停は2000年に香川県との間で成立。県は産廃約91万2373トンを島から運び出し、隣の直島に設置した施設で燃焼・溶融する無害化処理を実施した。事業費は2020年度までで計約804億円に達した。事件後、廃棄物処理法の改正が重ねられ、排出事業者にも処理に責任を持たせ、不適切な処理をした業者への罰則も強化された。

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筆者

曽根英二

曽根英二(そね・えいじ) 山陽放送元記者、ジャーナリスト

1949年兵庫県生まれ。早稲田大学卒業後、74年山陽放送(現RSK山陽放送、岡山市)入社。アナウンサーを経て記者に。報道部長、報道制作局理事などを歴任。80年から4年間TBS系列(JNN)のカイロ特派員として、イラン・イラク戦争を取材した。産業廃棄物の不法投棄をスクープした豊島事件の報道は30年に及び、ニュースや特集とともに、数々のドキュメンタリーを制作。元日弁連会長の中坊公平氏とともに97年、菊池寛賞を受賞したほか、民放連盟賞テレビ報道部門最優秀、早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。2010年から7年間、阪南大学教授。著書に『ゴミが降る島~香川・豊島 産廃との「20年戦争」』(日本経済新聞出版)、『限界集落~吾の村なれば』(同、毎日出版文化賞)など。