メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

特ダネの記憶 高知県庁「闇融資」事件

載せていいのか、悩みに悩んだ高知新聞 武器は紙面、エネルギーは読者の応援

依光隆明 朝日新聞諏訪支局長

 Kさんのことを考え、何度も夜眠れなくなったことを覚えている。

 2001年5月10日、高知県警は決裁ラインにいた高知県庁の副知事から班長まで5人を背任容疑で逮捕した。Kさんは商工労働部長として容疑に関わっていた。連行されるとき、捜査員と一緒に自宅から出たKさんと目が合った。Kさんは覚悟を決めたかのように小さくうなずいた、ように見えた。

 彼らが手を染めたのは民間企業への融資である。議会に知らせず、庁内ですらマル秘にして、本来は県信用保証協会に預けておく預託金から予算を流用していた。その額、実に12億円。しかもほぼ全額が焦げ付き、予算にぽっかり穴を空けている。なぜそんなことをしたのか。大きな理由は相手方への恐れだった。

 当時、高知県では部落解放同盟の力が強大だった。融資の相手方は、その幹部が関わる縫製企業。求められるまま県は公的資金を注入し、あげく予算の違法流用まで行っていた。闇の中で公金を流すこの行為を、高知新聞は「闇融資」と名付けた。闇から闇への闇融資である。

 逮捕された県庁マン5人の誰ひとりとして自分の懐にカネを入れていない。これも県職員の仕事だと信じ、ときには上から言われるままに動いていた。典型がKさんだったように思う。気さくでまじめ、文人肌の善人だった。まじめで組織に忠実だからこそ部長にまで上り詰めたのかもしれない。彼なりに仕事を全うした代償が逮捕・起訴だった。副知事、課長とともに実刑判決を下され、刑務所に収監された。築き上げた社会的地位も、経済的安定もどん底に落ちた。

 追い込んだ先駆けは高知新聞である。善良な県庁マンをそこまで追い込んでいいのか。自分が彼の立場だったらどうしたのか。上司や周りに逆らえたのか。甘いと言われれば甘いのだが、逮捕前後にはそんなことをよく考えた。予算に穴が空いていればいつか露見する、高知新聞が報道してもしなくても一緒だ。いや、露見を防いだ可能性もある。なにせ彼らは後付けの理屈をつくるプロなのだ。などなど、いろんなことを自問自答した。

 繰り返すが、彼らは自分の懐に一銭も入れていない。組織人として、いわば忠実に職務をこなしてすべてを失ったのである。県庁には激震が走った。それはそうだろう、組織に忠実であっただけで刑務所に送られてしまうのだから。

 公金の融資に絡んで公務員が背任で収監されるのは全国初だった。大げさにいえば、これで公務員の仕事ぶりが変わると思った。上司のいいなりになって仕事をするのではなく、県民を、国民を向いて仕事をするようになる。そんなふうに漠然と思った。もちろん結果は違っていた。森友問題を思い出してほしい。国会でうそをつき通して上司への職務を果たした公務員が出世し、国民を向いて仕事をしたいと思った公務員は自殺した。

 高知新聞が闇融資を暴いて21年になる。当時、高知新聞に調査報道という意識はなかった。記者の本能で疑惑を追いかけ回しただけである。だから取材技術の面では参考になる点は皆無に近い。反面、教訓として残しておいた方がいいことはある。せっかくの機会なので、記憶をたぐりながら振り返ってみたい。

「僕は、怖い」

高知県庁による一連の「闇融資」の第一報を報じた2000年3月1日付高知新聞社会面。1997年春に取材を始めてから約3年を経て、掲載にこぎ着けた
 1997年の春だった。

 知人と話していて、こう言われた。

 「県庁で何か起きているぞ」

 どういうこと? と聞くと、県庁にいる友人が吐いた言葉を明かしてくれた。

 「僕は、怖い」

 友人はそう言った、しかも深刻そうな顔で。だから県庁で何か起きている、とこの知人は話してくれた。

 新聞記者をやっていると毎日いろいろなネタが目の前を通り過ぎる。いけそうなネタが100あれば、取材の矢を深く刺すのはそのうちの10。記事にできるのは0.5くらいだろうか。なぜだかわからないが、このときは「当たり」のような気がした。知人に頼んだ。

 「お願い。もう少し詳しく聞いて」

 県庁の友人を、この知人は酒場に誘ってくれたらしい。ふたりきりの場で重い口を少しだけ開かせてくれた。

 聞き出したキーワードは縫製、融資、南国市、同和だった。

 それらしい工場はすぐに見つかった。縫製業の協業組合「モード・アバンセ」の本社工場。南国市の造成地に真新しい建物が立っていた。ここからマラソンのような長い取材がスタートする。知人にも、その友人にもそれ以上を聞くつもりはなかった。ネタ元を守りたかったからだ。情報源を守るには接触しないことが一番。キーワードさえ分かればあとはこちらで調べればいいと考えた。

 とりあえず取材は一人でやるしかないと思っていた。まだ海のものとも山のものとも分からない。ある程度までは自分で調べるほかはない、と。仕事の合間にこつこつと調べていった。

 調べるといっても人に会うだけである。県の幹部に当たり、部落解放同盟の関係者に話を聞いた。もちろんストレートに聞くのではなく、話題の片隅にこれらのキーワードを入れた。少し分かると別の人物に当てる。元の人物にもまた当てた。地方の特徴は人間関係の濃密さだろう。しかも当時、高知新聞のシェアは全国トップ。県幹部や解放同盟関係者の多くは顔見知りだったし、知らない人でも「高知新聞」を名乗れば会えた。

【高知県庁「闇融資」事件】
 高知県南国市にある縫製業の協業組合「モード・アバンセ」に高知県が不正融資を行っていたことが、高知新聞の調査報道で発覚。同紙は2000年3月1日付朝刊で報じた。県議会百条委員会の告発を受けた県警は捜査に乗り出し、01年2月にモード社幹部を詐欺容疑で逮捕したのを手始めに、同年5月、元副知事、元商工労働部長ら県幹部5人を背任容疑で逮捕。公的融資に関して公務員の刑事責任が問われた前例のない事件に発展した。元副知事らは、1996年9~12月、経営難に陥っていたモード社だけを対象とした融資制度を秘密裏に創設し、約10億円を融資、翌年12月にも2億円を追加融資したが、ほぼ全額が焦げ付き、県に損害を与えたとして、背任罪に問われた。高知地裁は2003年3月、一部を無罪として、副知事らに執行猶予のついた有罪判決を言い渡したが、高松高裁は05年7月、1審判決を破棄し、元副知事を懲役2年2カ月、元商工労働部長を1年8カ月の実刑とし、07年8月28日、最高裁で確定した。

黙って一枚の紙を

 97年秋までに分かったのは、以下のようなことだった。

 モード・アバンセは県内の同和縫製工場5社が協業して作った▽協業化に伴い県が中小企業高度化資金14億4千万円を融資▽96年6月、本社工場落成直後に資金ショート▽県商工労働部が地元銀行2行にモード社への融資を頼み、断られる▽県が県予算を流用してモード社に融資▽モード社には解放同盟県連の最高幹部数人が深く関わっている――。

 流用した県予算は中小企業制度金融貸付金だった。制度融資の実績に応じて県信用保証協会が金融機関に預託する予算である。年度末には全額回収し、4月1日には当初予算と同額が県の金庫に入っている。このカネを流用する鍵は「転がし」というシステムだった。

 「転がし」は前々から使われていた県庁内の隠語である。前々から使われていたということは、闇融資のような行為を以前も行っていたということだ。意味は年度の境界を「転がす」こと。転がすのはカネである。具体的には3月31日に地元銀行がモード社にカネを貸し、即座に県が回収する。監査がチェックする年度末、県の金庫には予算通りの額があることになる。翌4月1日、そのカネは県からモード社に渡り、地元銀行に戻る。親しい銀行に1日だけ融資させることで県予算に空いた穴を隠す工作である。

 関係者の間をぐるぐる回る中で少しずつヒントを聞き、以上のような概略をつかんだ。分からないのは金額だった。金額が分からなければ話にならない。

 教えてくれたのがKさんだった。

 県庁の商工労働部長室に

・・・ログインして読む
(残り:約6760文字/本文:約9999文字)