三沢明彦(みさわ・あきひこ) 元読売新聞記者
1956年生まれ。79年読売新聞社入社。横浜支局を経て、東京本社社会部では警視庁、警察庁キャップ、宮内庁を担当。北海道支社編集部長、編集局次長などを歴任し、福岡放送、静岡第一テレビ常務取締役。著書に『捜査一課秘録』(新潮文庫)、『刑事眼』(東京法令出版)など。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
オウムとの「対決」覚悟 元旦紙面で特報、完成目前「サリン工場」止める
大混乱の現場情報は虚実入り交じり、混沌としている。真実もあれば、思い違いも、フェイクニュースも飛び交う。だが、情報は上に報告されるたびに次第に整理され、見立てに沿わないもの、否定的な要素、矛盾する項目がそぎ落とされる。マイナス情報はノイズ・雑音として削除されるのである。そうした報告に基づいて、いったん捜査方針が固まると、なかなか抜け出せなくなる。
有毒ガスがサリンと発表されたのは、7月3日のことだ。ナチス・ドイツが開発した有機リン系神経毒物質の毒性は青酸カリの数百倍。イラン・イラク戦争で史上初めて使用された化学兵器が国内の住宅街に散布された衝撃は大きかった。農薬程度の知識しかない一般人にサリンが製造できるはずがないことは、今では常識であり、それが街中に散布されたとすれば、真っ先にテロを思い浮かべるだろう。だが、当時は農薬の調合ミスからでもサリンは生成できる、と解説する自称専門家もいた。有毒ガスの正体が判明した後も、第一通報者が怪しいという見通しが覆されることはなかった。私自身も含めてだが、想定外の事態に頭が追いつかず、思考停止状態になっていたとしか言いようがない。警察も、マスコミも、従来の発想から抜け出せなかったのだ。
事件からしばらく経っても、警察幹部と「(男性は)まだ落ちないのか」と話していたことを今も覚えている。現場からも、第一通報者クロ説を支えるような話が上がって
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