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戦時報道とジャーナリズムの論理

「国民の義務」論、どう超えるか

上丸洋一

 ひっかかっている言葉がある。

 「満州事変から81年」と題する毎日新聞の特集紙面(2012年9月18日付)に書かれていた言葉だ。

 「国家が栄えるために報道し、戦争となった場合には国の勝利を支援し称賛するのは、メディアとしては当然であり、それ自体を糾弾することはできないと思う。問題は、軍部に追随する域を超えて軍と一体化し、さらにあおり立てるような報道をしたことだ」

 メディア史を専門とする著名な大学名誉教授が紙面でそう語っていた。

 驚いた。報道機関が「国の勝利を支援し称賛する」のは「当然」のことだろうか。「軍部に追随する域を超えて……」とは「追随」までは許容されるが「一体化」はよくないという意味か。「追随」と「一体化」はどう違うのか。これでは、軍を「称賛」するばかりで伝えるべき事実を伝えなかった戦時報道の過ちを新聞は再び繰り返すことにならないか……。

 ジャーナリズムとは何か。戦時報道を軸に改めて考えてみたい。

柳条湖事件

 満州事変について朝日新聞は2007年春に開始した年間企画「新聞と戦争」の中で取り上げている。それまで軍部の暴走を戒める主張をしていた朝日新聞が、なぜ社論を転換して中国への侵攻を支持したのか。

 私は、その取材班の一員として資料収集や執筆に参加した。

 1931年9月18日夜、中国東北部(旧満州)の奉天(現瀋陽)郊外、柳条湖で日本が管理する南満州鉄道線が何者かに爆破された。この柳条湖事件を口実に関東軍(満州に駐留する日本軍)は満州全土に侵攻。翌年3月にはかいらい国家「満州国」を成立させる。

 鉄道線爆破は、関東軍が自ら線路に爆弾を仕掛けて中国側の犯行とみせかけたもので、関東軍参謀・石原莞爾らが主導した。破壊されたレールの長さは約80センチ。直後に列車が無事、通過し、日本側に実害はなかった(秦郁彦『昭和史の謎を追う 上』)。

 朝日新聞は号外で第一報を伝えた。

 「三四百名の支那兵が満鉄巡察兵と衝突した結果つひに日支開戦を見るに至つたもので明かに支那側の計画的行動であることが明瞭となつた」

 根拠を示さずに、原因は中国側にあると決めつけた。

中国・柳条湖の満鉄線爆破現場=1931年9月

武力の限界

 柳条湖事件の直前には、こんなことがあった。陸相の南次郎が、陸軍幹部を集めた会議で、幣原喜重郎・外相の協調外交、軍縮政策を批判したのだ。そして満州をめぐる日中対立は「事態の重大化」を思わせるものがあると語り、武力衝突の可能性を示唆した。

 東京朝日新聞(31年8月5日付)は「強硬意見があるなら、それは立憲の常道に基いて堂々と主張され、検討さるべきであり、この上満洲問題が軍人の横車に引きずられて行くを許さぬ」と社説で陸相を批判した。

 大阪朝日新聞(8月8日付)も同じく社説で主張した。

 「今日の政府対軍部の関係は、まことに立憲政治、議会中心政治の試金石だといつてよい」

 「軍部が政治や外交に喙を容れ、これを動かさんとするは、まるで征夷大将軍の勢力を今日において得んとするものではないか。危険これより甚だしきはない。……国家の隆盛をいたすについて、武力は全部でなくて一フアクターである。……国際関係の最後の解決をはかるものは、今日では決して武力ではない」

 堂々の論陣だった。

 しかし、柳条湖事件のあと、事態は急展開する。

 朝鮮軍(当時、日本の植民地だった朝鮮に駐留する日本軍)の部隊が満州に向けて現在のソウルを出発。独断で中国との国境を越えた。天皇の命令なしに外国に対して戦闘を始めることは天皇の統帥権を犯す行為であり、陸軍刑法によって最高刑、死刑と定められていた。

 それにもかかわらず、若槻礼次郎内閣は、閣議で朝鮮軍の独断越境を事後承認した。新聞各紙も批判しなかった。東京朝日新聞(9月23日付)は社説で、軍の行動をすみやかに追認するよう政府に求めた。

 10月12日、大阪で開かれた朝日新聞の役員会は「国家重大事に処し日本国民として軍部を支持し国論の統一を図るは当然の事にして現在の軍部及軍事行動に対しては絶対批難批判を下さず極力之を支持すべきことを決定」した(藤原彰ほか編『資料日本現代史8』)。

 日本国民として軍部を支持するのは当然だ、と新聞社の幹部は考えた。言い換えると、戦時においても政府の対応や軍の行動を監視し、批判すべきは批判する、それが新聞の役割であり責任だ――とは考えなかった。

後援と感謝

 満州事変から6年後の37年7月、北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突した。8月には上海でも戦火があがり、日本は中国との全面戦争に突入した。

 10月9日、上海派遣軍司令官の松井石根は日本人記者十数人を司令部に呼び、「今は不言実行の心持ちで任務に邁進する」と決意を語った。

 このときの模様を松井は、日記にこうつづって

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