特ダネの記憶 ロッキード事件・コーチャン単独会見
工夫と粘りで築いた信頼関係 「8日間・60時間」インタビュー
村上吉男 朝日新聞元アメリカ総局長
ワシントン舞台に夜討ち・朝駆け
公聴会でのコーチャン証言のあと、ワシントンはすさまじい国際取材合戦の舞台となった。
ロッキードの旅客機の売り込みで、巨額の金を受け取った者がいる、誰なのか、何人なのか。大物に違いない彼らの名前を突き止めることが、最大かつ、唯一の取材目標となっていった。欧州のオランダ、西ドイツ(当時)、イタリア、英国、そして中近東のトルコ、サウジアラビア。アジアでは、日本だけが大型旅客機20機以上の購入計画があるとして注目されたが、ほかにも、インド、シンガポール、インドネシア、韓国など多くの国々が対象とされた。これら諸国の報道陣は、ロッキード社に焦点を当てた上院の多国籍企業小委はもとより、銀行・住宅・都市問題委員会(プロクシマイヤー委員長=民主党)、そして米連邦政府の証券取引委員会(SEC)、国務省、ペンタゴン(国防総省)、司法省、財務省、国際貿易委員会(ITC)など、あらゆる関連機関に押しかけ、ロッキード関係の情報や資料を探り出すため全力を結集する事態となった。
当時、ワシントンの外国報道陣の中で最大の三十数人を擁した日本の特派員団は急激に増強された。各社のニューヨーク支局員が総出でワシントンの応援に駆けつけ、東京からは政治部、社会部、経済部などの記者が専門分野での取材強化のために次々と派遣された。映像グループや雑誌社まで加えた日本の一大報道陣には、ワシントンの連邦政府職員らもびっくり仰天だった。市民たちはもっと驚いた。日本の記者たちが、郊外の住宅地にまで押しかけ、議会スタッフや政府職員らの自宅に、日本の「夜討ち、朝駆け」を敢行したからだ。早朝の出勤前、夜間の帰宅後に政府職員らの自宅付近をうろついたり、車で待機したりする日本人記者の姿が目立ち始めたのだ。
日本の報道陣のすさまじさについては、二十数回の訪日歴を誇るコーチャン氏も熟知していた。後日、単独会見でこの話が出た時、コーチャン氏が実感を込めて口にした。「いやぁ、日本の新聞記者や放送記者のすごいのなんのって、(米上院の公聴会でコーチャン氏を追及した)フランク・チャーチ(当時、米上院議員)どころの怖さじゃないね。君たちは一体、いつ寝てるんだい」と。
とはいえ、アメリカでの「夜討ち、朝駆け」はうまくいかなかったようだ。押しかけられた職員や家人が「怪しげな東洋人」が入れ代わり立ち代わり付近を徘徊し、呼び鈴を押したりしていると、911番(日本の110番)通報した。すぐさまパトカーが来て、調べられ、2度目には逮捕すると告げられたケースもあったようだ。電話攻勢に転じると、今度は米職員らの自宅の電話番号が次々と別の番号に替えられてしまった。
そこで、私は手紙戦術を
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