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被爆地の新聞社と「ヒロシマの空白」

死を「仕方なかった」にしない覚悟

金崎由美 中国新聞編集局報道センターヒロシマ平和メディアセンター長

 広島の地元紙、中国新聞の本社は本川を挟んだ平和記念公園の対岸にある。職場の窓越しに広島平和記念資料館(原爆資料館)前の噴水、緑の木立と原爆ドームの円屋根が見える。本川に架かる西平和大橋の欄干は彫刻家イサム・ノグチの設計、船の竜骨をイメージし原爆犠牲者の旅立ちを意味しているという。戦後復興のシンボルである街路樹のキョウチクトウが、花を咲かせ始めた。

 公園を歩くと、76回目の原爆の日が間近なのに往来はわずかである。新型コロナウイルス禍がなければ、今頃は国内外から原爆資料館に人波が押し寄せていたはずだ。2020年度は感染拡大を受けて入館者数は大幅に減少したが、2019年度は過去最高の175万人超を記録した。

 その館内で誰もが最初に目にするのが、コンピューターグラフィックス(CG)の映像として投影される「死者約14万人 1945年の終わりまで」という言葉だ。8月6日午前8時15分に米軍が広島上空で投下した原爆は、爆心地から半径約2キロにわたり市街地を破壊し尽くした。被害の甚大さを、見学者は「14万」という数字を通して脳裏に焼き付ける。

 これは1976年に広島、長崎の両市が国連事務総長に提出した文書の中で、被爆前の人口推計と、被爆後の人口調査を比較するなどして算出された「14万人(誤差±1万人)」に端を発している。実数ではなく推計値。死者数という基本的な情報すらはっきりしないほど、被害の全容は解明からほど遠いのが実態だ。

「14万人±1万人」と「8万9025人」

拡大「約14万人」の数字が投影された原爆資料館の冒頭展示

 ヒロシマ平和メディアセンターは原爆平和報道を担当する編集局内の部署である。日々の取材に加えて、本紙掲載の原爆平和関連記事を日英両言語をはじめ中、仏、露の計5言語で掲載するウェブサイトの運営、中高生記者「中国新聞ジュニアライター」25人の活動支援など、「発信」と「次世代継承」をさまざまに行っている。被爆地の新聞社として何を報じるべきか、走りながら皆で年中考えている。

 被爆75年の節目を翌年に控えていた2019年夏、吉原圭介センター長(現編集局次長)が率直な問いを記者たちに投げかけた。「14万人±1万人という、あれだけの誤差で人間の命を語り続けていいのか」。災害の発生時には死者と行方不明者を一人ずつ数え、犠牲者名簿が作られる。私たちは、名前や顔を持つ生前の姿を想像し、死者の無念と遺族の悲しみを思う。万単位の誤差を含む数字で「広島14万人、長崎7万人」と原爆犠牲者について語らざるを得ないことは、よくよく考えれば尋常でない。

 とはいえ、決して「14万人±1万人」がそのまま放置されてきたのではなかった。広島大助教授として国連提出の要請書につながる調査を主導した故湯崎稔氏は「より正確なデータが得られれば、この数は改めなければならない」(1976年11月13日付中国新聞)と念を押していた。その後も研究者、市民、行政、そして記者たちが努力を重ねてなお残っている「空白」なのだ。

 私自身、被爆65、70年の重点報道に関わったが、今回はさすがに「どこまで掘り下げられるのか」と不安を覚えた。それでも諦めず、推計値や大きな数字では見えない人間の苦しみと向き合うべきだろう。「14万人±1万人」に代表されるあらゆる未解明の原爆被害を「空白」と捉え、平和メディアセンターを拠点に「ヒロシマの空白 被爆75年」の取材班を組んだ。緻密な取材で原爆平和報道を牽引する水川恭輔記者、山本祐司記者と山下美波記者を専従担当に、河野揚記者、小林可奈記者が兼任で加わり模索を始めた。

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筆者

金崎由美

金崎由美(かなざき・ゆみ) 中国新聞編集局報道センターヒロシマ平和メディアセンター長

北海道登別市生まれ。北海道大学法学部卒。1995年に中国新聞社入社。2020年から現職。連載「グレーゾーン 低線量被曝の影響」で17年科学ジャーナリスト大賞共同受賞。20年度新聞協会賞受賞作「ヒロシマの空白 被曝75年」取材班デスク。著書にサーロー節子自伝『光に向かって這っていけ 核なき世界を追い求めて』(本人との共著、岩波書店)。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです