福島至(ふくしま・いたる) 龍谷大学名誉教授・研究フェロー、弁護士
1953年生まれ。東北大学大学院博士課程修了(法学博士)。弘前大学助教授、龍谷大学教授等を歴任。2005年から弁護士登録(京都弁護士会)。専門は刑事法学。著書に『略式手続の研究』(成文堂)、『基本講義 刑事訴訟法』(新世社)、編著書に『コンメンタール刑事確定訴訟記録法』(現代人文社)、『團藤重光研究』(日本評論社)など。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
刑訴法53条や記録法4条の規定によれば、法の建前としては閲覧自由の原則が定められている。特に閲覧の理由を示すことなく、誰もが閲覧できる枠組みになっている。情報の公開が明確に定められている。そればかりではない。もし閲覧が許可されない場合には、準抗告をすることができる。刑訴法上、事件に直接関係のない一般人が準抗告できるのは、ほぼこの場合だけだと言ってよい。裁判傍聴については何の不服申し立てもできないことに比べると、その差が際立っている。刑訴法や記録法が定める閲覧自由の原則は、裁判の公開原則が所期する市民の裁判監視や批判を可能にする制度となっているように見える。
ところが、現実はそう甘くない。ある事件に関心を持った市民が、事件確定後に保管検察官に訴訟記録の閲覧を請求しても、そう簡単には認めてくれない。閲覧を請求するまでに、いろいろな難関がある。たとえば、閲覧請求のため検察庁に赴くと、受付では、「訴訟記録は第三者は閲覧できないことになっています」とか、「関係者以外の方は見られません」などと、けんもほろろの洗礼を受けるのである。これはある一つの検察庁だけの話ではない。同様の扱いを受けたとの報告が、各地の経験者から寄せられている。ちょうど生活保護の申請をさせないようにする一部自治体の対応に似ているので、「水際作戦」と称されている(注3)。
しかし、水際作戦は許されるものではない。法律が定めている閲覧自由の原則に明らかに反する態度である。刑事訴訟記録の閲覧は、行政機関である検察庁が提供する市民サービスの一つである。親切で丁寧な対応をとるべきであろう。
現実を前にすると、閲覧自由の原則は形骸化しているように思われる。その原因には、検察庁の体質もあるが、記録法の規定にもある。記録法4条1項は閲覧自由の原則を定めるが、同条2項は「次に掲げる場合には、保管記録(……)を閲覧させないものとする」として、例外を掲げている。掲げている閲覧制限事由は、1号から6号まで多岐にわたる。たとえば、「事件が終結した後三年を経過したとき」とか、「記録を閲覧させることが公の秩序又は善良の風俗を害することとなるおそれがあると認められるとき」、「記録を閲覧させることが関係人の名誉又は生活の平穏を著しく害することとなるおそれがあると認められるとき」などである。しかし、なぜ確定後3年経過したら一律に閲覧できなくなるのか、理由がわからない。また、それ以外の例外事由は抽象的な表現が多く、かなり広範に解釈することもできる。これらは、法律の原則と例外を逆転させる道を開いてしまうのである。
もっとも、記録法4条2項但し書きによれば、閲覧制限事由に該当する場合であっても、「閲覧につき正当な理由があると認められる者」の閲覧請求は認められるとしている。ただ、これまでの裁判例では、ジャーナリストや市民は正当な理由がある者とは認められていない。結局、広範な制限が正当化されてしまう。
(注3) 清永聡「私はこうして記録を閲覧した」ほんとうの裁判公開プロジェクト『記者のための裁判記録閲覧ハンドブック』(公益財団法人新聞通信調査会、2020年)10頁。