山腰修三(やまこし・しゅうぞう) 慶應義塾大学法学部政治学科教授
1978年生まれ。慶應義塾大学大学院単位取得退学。博士(法学)。専門はジャーナリズム論、メディア論、政治社会学。単著に『コミュニケーションの政治社会学』(ミネルヴァ書房)。編著に『戦後日本のメディアと原子力問題』(ミネルヴァ書房)、訳書に『メディアと感情の政治学』(共訳、勁草書房)など。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
「メディア・イベント」という学術用語がある。大規模なイベントをテレビによって中継することで社会――通常は国家――の凝集性を高める、というものである(注1)。五輪はメディア・イベントの典型と見なされてきた。しかし、この概念の説明力には近年、疑問が投げかけられるようになったのも事実である。例えば一部のメディア研究者は、メディア・イベントが社会の統合だけでなく、かえって分断や対立を加速させる場合もあるのではないか、と指摘する(注2)。そして今回の五輪は開催前からの世論の動向が示すように、まさに社会の対立や分断を促したメディア・イベントであった。
確かにテレビでは祝祭ムードが作られた。しかし新聞やソーシャルメディアを含めた幅広いメディア空間全体を見渡した時、むしろテレビが特殊であったと見なすこともできる。例えば開会式の翌朝、7月24日の毎日新聞は1面で開幕を伝える記事の横に「『異形の祭典』を心に刻む」という主筆名義の論評を掲載した。五輪閉幕の翌日から朝日新聞は「五輪は何を残したか」という連載で批判的な検証を試みた。それらはこの五輪そのもの、あるいは五輪を開催する日本の政治や社会に何らかの問題を発見し、教訓を引き出そうという実践と言える。
「異形の祭典」という表現のように、この五輪をさまざまなメタファーやアナロジーで捉えた、という点も多様なメディアで見られた特徴であった。その際にしばしば参照されたメタファーが「敗戦」である(注3)。これは国策としての五輪の「失敗」、あるいは五輪開催の前提としての新型コロナ対策の「失敗」を意味している。こうしたメタファーが用いられた背景は第一に、菅義偉政権が「コロナに打ち勝った証し」としての五輪開催を強調したことである。この場合、「コロナ敗戦」という用語とも結びついて五輪の「敗北」が語られる。そして第二に、コロナ禍での五輪開催強行がアジア・太平洋戦争へと突き進む状況や大戦中のインパール作戦のような過去の事例を想起させたことである。
そして一連の議論はジャーナリズムに対しても次のような問いを投げかけている。五輪報道のあり方はジャーナリズムにとっても何らかの「敗戦/敗北」を意味したのではないか。仮にそうだとすると、ジャーナリズムはそうした「敗北」をどのように受け止め、そこからいかなる教訓を引き出すべきなのだろうか。以下では五輪をめぐる報道を分析し、これらの点を考えてみたい。
五輪期間中の状況を最も的確に表現したメタファーは「パラレルワールド」であった。7月29日(大会7日目)の記者会見でIOC広報部長は国内の感染拡大と五輪開催との関係性を否定する文脈でこの表現を用いた。つまり、五輪関係者や選手は「バブル」の中におり、そこでは定期的に検査が行われている。それゆえ、五輪は日本社会とは隔絶した別世界で行われている「安心・安全」のイベントだ、という趣旨である。
とはいえ、日本社会ではこの言葉は「分断」の象徴としても解釈された。この場合は「五輪の世界」と「コロナ禍の世界」という二つのパラレルワールドが想定されているが、感染拡大にもかかわらず強行され、祝祭ムードにあふれた「向こう側」と、コロナ第5波の危機の中にある「こちら側」との対比となっている。さらにこの対比は、「五輪貴族」のような特権を享受する層と、コロナ対策への十分な補償もなく、ワクチンすら行き渡らない不安な生活を強いられる「我々」という対立構図によっても支えられている(図)。
パラレルワールドを「分断」と解釈する手がかりは五輪開催を担ったアクターによって提供されてきた。数々の失言が炎上したトーマス・バッハIOC会長をはじめ、「五輪が始まれば人々は新型コロナの問題を忘れて17日間を楽しむ」というNBCトップの発言、あるいはコロナ対策に取り組んできた政府分科会の尾身茂会長が五輪開催を強く危惧した際に、それを「別の地平」の言葉であると退けた丸川珠代五輪担当大臣の発言などがこうした解釈が成立する土台を形成してきたのである。そして五輪開催の延期や中止を求める世論を無視し、なぜこの時期に五輪を開催するかさえ十分に説明してこなかった菅政権の強硬姿勢もまた、人々が「こちら側」の世界に取り残されたという疎外感を強くする要因となった。
無論のこと、実際に多くの人々がメディアを通じて五輪観戦を楽しんだことは間違いない。閉幕直後の各種世論調査によると、約6割が五輪を開催して「良かった」と評価している。しかしそれは人々が必ずしも「向こう側」の世界の住人になったことを意味しない。あくまでも「こちら側」から「向こう側」を覗くという振る舞いであった。五輪開催期間中、日本では感染が急拡大し、自宅療養を強いられる人々が増加した。つまり、アスリートの活躍を楽しみ、時として感動するが、すぐにコロナの日常の不安、あるいは怒りや悲しみへと立ち返る、そうしたメディア経験だったのである。
メディアは「向こう側」と「こちら側」とをつなぐ「窓」の役割を果たした。したがって五輪報道を検証するうえで、一つの問いが生まれてくる。それは、メディア自身はどちらの側の世界に立っていたのか、というものである。メディアはどちらの世界から「窓」を掲げていたのだろうか。
(注1)D・ダヤーン、E・カッツ『メディア・イベント』浅見克彦訳、青弓社、1996年。
(注2)N・クドリー『メディア・社会・世界』山腰修三監訳、慶應義塾大学出版会、2018年。
(注3)例えば毎日新聞7月25日の島田雅彦氏の特別寄稿「五輪というダークファンタジー」、朝日新聞8月3日の吉見俊哉氏へのインタビュー記事「東京五輪、国家の思惑」など。