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対立・分断の五輪報道の果ての 「敗北の抱きしめ方」について

山腰修三 慶應義塾大学法学部政治学科教授

各紙の1面トップを比較

 新聞については、開催期間中、各紙の1面を比較するという興味深いメディア実践がツイッター上で展開していた(注4)通り、ニュース・バリューはニュースの重要度を判断するジャーナリズムの専門文化であり、1面を比較することでその新聞がどの出来事を最も重視しているのかが分かる。つまり、「五輪の世界」と「コロナ禍の世界」というパラレルワールドがどのように描かれていたのか、そしてどちらの「世界」が重視され、前景化していたのかが見えてくるのである。そこで7月24日から8月9日までの3大紙(朝日、毎日、読売)の朝刊1面記事を検討してみたい(いずれも東京本社最終版)。

 まず前提として、3紙はこの期間中、1面に五輪関連とコロナ禍についての記事の両方を掲載する傾向にあった。つまり、1面にはパラレルワールドが展開していたことになる。問題はどちらが重視されていたのか、ということである。

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 上の(表)は各紙の1面トップのテーマを類型化したものである。この表からも明らかなように、開会式翌日(7月24日)から25日にかけては3紙ともに五輪関連が1面トップとなった。しかし早くも26日に毎日新聞がコロナ禍をトップに据え、次いで28日には朝日新聞がコロナ禍をトップに掲載した。読売新聞は五輪のメダル獲得をトップで報じる傾向があるものの、30日、31日、8月3日、6日は3紙がコロナ禍をトップで報じた。2紙以上がコロナ禍をトップで報じたケースに注目すると、総じて7月29日から8月6日ごろまで、つまり大会期間中の大半は五輪よりもコロナ禍が重視されていたことになる。

 このように概観すると、新聞におけるパラレルワールドの立脚点が「五輪」から「コロナ禍」へと移行していった傾向がうかがえる。無論のこと、要因は感染状況の深刻さそれ自体にある。とはいえ、ニュース研究で指摘されてきたように、ニュース・バリューはジャーナリズムの専門的な判断基準であると同時に、社会の価値観や意識の動向も反映した動態的なものでもある(注5)。いわば、立脚点の移動は世論が作り出す「空気」による部分も大きく、新聞がそうした空気の変化に敏感に反応したと解釈することも可能である。

拡大東京五輪の競歩を観戦する人たち。コロナ対策のために沿道からの観戦自粛が呼びかけられていたが、コース沿いには多くの観客が集まった=8月5日、札幌市中央区

テレビが描く五輪の世界

 それに対して「五輪の世界」を総力戦体制で放送し続けたのがテレビである。8月18日の朝日新聞の検証記事によると、NHKと民放の地上波の五輪放送時間は880時間と過去最長になった。例えばNHK総合はサブチャンネルも活用しつつ、深夜の時間帯やニュース番組などを除き、ほぼ競技中継で埋め尽くされた。民放在京キー局5社は持ち回りで日替わりの当番を決め、担当になった局は朝から午後11時まで競技の生中継を中心に放送し、午後11時からは「東京五輪プレミアム」を放送した。

 実際の放送では競技中継だけでなくスタジオトークも行われ、そこでは「感動と勇気をもらった」という定型句が繰り返された。きわめて古典的なメディア・イベントが展開されたと言える。一方で、パラレルワールドという点では「コロナ禍の世界」がこの期間中には十分に伝えられたとは言い難い。NHKでは「ニュースウオッチ9」がしばしば短縮された。五輪中継の担当となった民放でもニュース番組は休止・短縮された。ニュースを扱うワイドショーのような情報番組でも五輪報道が重視された。

 テレビが見せる圧倒的な「五輪の世界」は「コロナ禍の世界」を軽視しているような印象を与えた。それでも「コロナ禍の世界」自体はきちんと伝えている、という反論もあるだろう。しかし、テレビの場合は単にその出来事を取り上げたか否かだけでなく、どれだけの時間、どのタイミングでそのトピックが放送されたのかが重要となる。テレビは「フロー(流れ)」として経験されるからである。その点から考えると、テレビを通じた「コロナ禍の世界」の伝え方は「五輪の世界」の中に埋没していたと言える。

 例えば夕方の民放のニュース番組では、五輪が大々的に伝えられた後に午後4時45分ごろ、東京都の新規感染者数の発表を受けて速報が伝えられた。そこでは専門家の警告もしばしば報じられる。しかし次の瞬間には再び五輪での快挙が祝祭ムードで伝えられるのである。「コロナ禍の世界」は「五輪の世界」に塗り替えられる。あるいはそれは「向こう側の世界」から「こちら側の世界」を一瞥するテレビの振る舞いだったのかもしれない。いずれにせよ、テレビは「向こう側」に軸足を置いたスタンスに終始したのである。

(注4)「@e_i_k_」のツイートを参照。ただし、この試みは7月31日の紙面までであった。
(注5)例えば大石裕『ジャーナリズムとメディア言説』勁草書房、2005年を参照。

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筆者

山腰修三

山腰修三(やまこし・しゅうぞう) 慶應義塾大学法学部政治学科教授

1978年生まれ。慶應義塾大学大学院単位取得退学。博士(法学)。専門はジャーナリズム論、メディア論、政治社会学。単著に『コミュニケーションの政治社会学』(ミネルヴァ書房)。編著に『戦後日本のメディアと原子力問題』(ミネルヴァ書房)、訳書に『メディアと感情の政治学』(共訳、勁草書房)など。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです