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つきまとう入管収容の恐怖 “東京クルド”の絶望を撮る

日向史有 映画監督

 今年の7月、私が初めて制作したドキュメンタリー映画「東京クルド」が公開された。この映画の主人公は、作品タイトルにある通り、日本に住む「クルド人」である。現在日本には、約2千人のクルド人が暮らしており、その多くは母国(主としてトルコ)での弾圧や迫害といった危機的状況から逃れて日本にやってきた人々だ。彼らは、日本で難民申請を行ったが認められず、ほとんどが「非正規滞在者」という社会的立場にある。「非正規滞在者」とは、いわゆる「不法滞在者」と呼ばれる人々と同義であるが、近年、日本で在留資格がないまま滞在する要因が多様化しつつあるという社会背景から、専門家や支援者のあいだでは、「不法滞在者」ではなく「非正規滞在者」という言葉が使われるようになってきている。「東京クルド」の主人公であるラマザンとオザンも、小学生の時に家族とともにトルコから日本に逃れてきた。それから10年以上、「非正規滞在者」であり、「仮放免」という許可を受け、日本に暮らしている。

 私が「東京クルド」の制作にいたったのは、2015年のシリア紛争を背景とした「欧州難民危機」がきっかけだった。連日報道される中東の難民の過酷な状況に衝撃を受け、日本の難民の受け入れ状況はどうなっているのかと、取材を始めた。日本は、140カ国以上が加盟する難民条約の批准国である。20年の難民認定率は、カナダ約55%、イギリス約48%、ドイツ約42%、アメリカ約26%、フランス約15%である。一方、日本は1%以下である。認定率の高低には、難民申請者の出身国が大きく関わってくるので、単純な比較はできないが、それでも日本の認定率はきわめて低いと言わざるを得ない状況である。

 私は手始めに、新宿区(現在は千代田区に移転)にある認定NPO法人難民支援協会を訪ねた。事務所に入ると、10人ほどの外国人が順番待ちをしていた。広報担当者に案内され、会議室の扉を開けると、床に体躯のがっしりした黒人男性が横たわっていた。私はギョッとして担当者に尋ねると、彼はそこで仮眠を取っており、難民申請者がホームレスになることは決して珍しくないと説明された。難民申請者には、NPOや慈善団体が保護シェルターを提供しているが、数は少なく、いつも満室であるため、彼は夜になると屋外で時間を潰さなければならないのだという。だから支援協会の開館時間に合わせて、屋根のある安全な事務所に仮眠を取りにやってくるのだった。そうした人は他にもいて、会議室の片隅には、彼らの手荷物やスーツケースが並んでいた。難民認定の審査は平均でおよそ4年4カ月かかるといわれる。その間、住居を得られない人も数多くおり、冬場には寒さで身体を壊す人もいるという。

 率直にいうと、私は、日本の難民保護がこのような状況だとは予想していなかった。なんらかの事情を抱え保護を求めてきた人間に、たとえ一時的であっても、最低限の衣食住を提供できないとは、私が漠然と抱いていた「日本」のイメージとはかけ離れていたのである。

拡大迫害を逃れるため日本にやってきて、難民申請を続けるクルド人のラマザン(左)とオザン(映画「東京クルド」からⓒ2021 DOCUMENTARY JAPAN INC.)

ISと抗戦したい

 取材を進める中で、日本クルド文化協会を知った。埼玉県蕨駅の近くに事務所をかまえるこの協会は、日本人に向けてクルド料理教室を開いたり、トルコのクルド人の政治的な状況、日本に難民としてやってきたクルド人の現状などを発信していた。クルド人にとって事務所は、同胞と世間ばなしをしたり、情報交換をしたりする寄合所のような場所になっていた。子供から大人まで毎週20人ほどのクルド人が集まってきていた。私は定期的にこの事務所を訪れ、彼らに話を聞かせてもらうようになった。

 ある時、ひとりの青年に将来の夢について尋ねた。すると、彼は「シリアに行って、IS(過激派勢力「イスラム国」)と戦いたい」と言った。私にとっては日本は「平和」で、せっかく安全な土地に逃れてきたのになぜ戦地に行き、自らの命を危険に晒すのか、理解できなかった。わけを尋ねると、「日本で暮らしていても希望がないから」という答えだった。同じことを言うクルド人は他にも何人かいた。みな若者だった。日本の何が、彼らにそう思わせるのか。その時の言葉にならない感情が、「東京クルド」の制作に向かった私の大きな動機である。

 私が話を聞いたクルド人のほとんどは、「仮放免」という許可を受けて生活する非正規滞在者だった。本来、正式な在留資格をもたない外国人は、出入国在留管理庁(以後、「入管」)から、退去強制令書が発布され、日本国外へ退去するまでの間、入管施設に収容される。仮放免許可とは、この収容を一時的に解くものである。許可される期間は、通常1〜3カ月ほどなので、仮放免者は、定期的に入管に出頭し、許可の期間延長を申請しなければならない。その時、延長が認められなければ、その場で収容されることになる。つまり彼らは、いつ収容されてもおかしくない状態で日本にいる。仮放免者は、なにより就労が禁止されており、健康保険にも加入できない。なかには、その状態で10年、20年と日本に暮らす者もいる。19年12月末の入管の統計では、仮放免者は2217人である。

 「東京クルド」のラマザン(当時19歳)とオザン(当時18歳)も、難民申請が認められず、仮放免者として日本で暮らしていた。日本の法律では、非正規滞在者にも教育を受けることを認めている。小学生で日本に来た彼らは、もちろん日本の小学校で、日本人とともに学び、成長してきた。

 ラマザンの夢は、南の島の真っ青な海を見ることだ。彼のパスポートはとっくに期限が切れており、日本で難民認定もされていないため、ラマザンにとって海外を旅行することは文字通り「夢」なのだ。

 だから、クルド語、トルコ語、日本語を操ることができる自分の特性を活かして通訳者になろうと、高校卒業後、英語の専門学校への進学を希望した。しかし、「不法滞在者の入学は想定していない」「前例がない」「ビザがないと入学はできない」等々と、8校から断られた。法律上は、なんら違法性はないのだが、学校側はそうは捉えなかった。ラマザンは、2年かけて入学先を探したが見つからず、進路そのものを変えることになった。

 オザンは家計を支えるために、15歳から非正規で解体作業員として働いている。当初は定時制高校に通いながら両立していたが、高校でいじめに遭い1年で中退した。他の仕事がしたくてハローワークに行ったこともあるが、もちろん紹介してもらえる仕事はなかった。撮影中のある夜、彼は自分のことを「価値がない。誰からも必要とされていないから」と呟(つぶや)くように言った。18歳のオザンの現実には「選択肢」というものがない。そのことに私は胸が苦しくなった。

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筆者

日向史有

日向史有(ひゅうが・ふみあり) 映画監督

1980年、東京都生まれ。ドキュメンタリージャパン所属。ウクライナで徴兵制度に葛藤する若者を追った「銃は取るべきか」(NHK BS1)や在日シリア人難民の家族を映した「となりのシリア人」(日本テレビ)を制作。難民申請を続ける在留クルド人青年を描いた映画「東京クルド」を監督。今年、ディレクターを務めた「村本大輔はなぜテレビから消えたのか?」(BS12)が衛星放送協会オリジナル番組アワード・グランプリ受賞。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです