メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

孫正義のDNAを継いで二十余年 ニュース発信には「稼ぐ力」が必要だ

アイティメディア社長兼CEO 大槻利樹さんに聞く

大槻利樹 アイティメディア代表取締役社長兼CEO

 日本最大級の総合情報ポータルサイトであるYahoo! Japan(ヤフージャパン)が1996年にスタートして四半世紀が過ぎました。その旗揚げに関わった大槻利樹さんは、IT分野の総合情報サイトを運営するアイティメディアの社長として20年余り、競争の激しいネットの世界を勝ち抜いてきました。日本のウェブサイト発展の歴史とも重なる山あり谷ありの社長人生を振り返りつつ、ネットの世界で生き抜くために何が必要か、ウェブサイトに託してきたこと、さらにネットメディアの将来のあり方などについて聞きました。(聞き手 朝日新聞「論座」前編集長・吉田貴文/写真 小林正明)

拡大

――アイティメディアの設立以来、ずっと社長を務められていますが、心がけてきたことは何ですか。

大槻 ビジネスモデルの開発ですね。自ら先頭にたって、「稼ぐこと」にコミットしてきました。2000年代初めのITバブル崩壊や08年のリーマン・ショックなど苦しい時期は幾度もありましたが、ビジネスモデルの開発に正面から取り組んだからこそ、危機を乗り越えられたと思います。

――ここは非常に興味深いお話なので後で詳しくお聞きするとして、その前に大槻さんが経験された日本のウェブサイトの変遷についてお聞きしたいと思います。そもそもインターネットに関わりを持つようになったのはいつからですか。

ヤフーに広告をのせろ!

大槻 日本でウィンドウズ95が発売された1995年頃でしょうか。孫正義社長の秘書を6年間務めた後、出版事業でパソコン雑誌を手がけたのがきっかけです。

――95年には朝日新聞も「アサヒ・コム」をスタートさせています。インターネットが普及し始めた頃ですね。

大槻 はい。そこでメディアビジネスの面白さに目覚めつつあった時、孫社長から突然、集まるように言われました。1996年1月8日です。

 行ってみると、ソフトバンクの幹部ら7、8人が集まっていました。出版部門の責任者で孫社長の片腕だった橋本五郎さん、ヤフージャパンの創業社長になる井上雅博さん、伊藤穣一さん(ベンチャーキャピタリスト)、Yahoo!創業者のジェリー・ヤンさんらがいたかな。その場で孫さんが、「これからソフトバンクはインターネットの会社になる」と宣言したんです。

 で、「大槻ね、ヤフーにはインターネット広告っていうのがあるらしい。ジェリー・ヤンのところで勉強して、サイトのスタート時からネット広告をのせろ」と指示されました。社長になる井上さんには「コンテンツを準備しろ」と言っていましたね。

 すぐにアメリカに行き、ジェリーのもとでネット広告について勉強しました。当時のメモも残っていますよ。96年1月18日付。下手な英語でジェリーにアメリカのセールスの仕方を尋ねています。

――ヤフージャパンのサイトローンチは4月1日。間に合ったのですか。

大槻 サイト開始と同時になんとかネット広告も始めました。かなり強引でしたが、IBMなど理解のある会社が応じてくれました。孫社長は後で「ヤフージャパンはスタートした4月から黒字だよ」と自慢していましたが、僕が広告をとってきて黒字にしたと自負しています。

拡大

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

大槻利樹

大槻利樹(おおつき・としき) アイティメディア代表取締役社長兼CEO

1961年、長野県出身。東北大学卒。84年、ソフトバンクに新卒入社。孫正義社長の戦略秘書、社長室長、出版事業部広告局長、マーケティング局長、インターネット局長などを歴任。96年、Yahoo! JAPANの立ち上げに参加。99年、ソフトバンクの子会社として、ソフトバンク・ジーディーネット(現アイティメディア)設立、代表取締役社長に就任。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです