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改憲と護憲、二分法の超克 

生産的な憲法報道の文化を

江藤祥平 一橋大学大学院法学研究科准教授

 憲法問題を考える上で、メディアの果たす役割はとてつもなく大きい。その理由は、憲法について、国民の側にはほとんど情報がないのが通常であり、メディアの伝える情報に大きく判断を左右されるからである。国民が憲法についてあまり情報を有さないのは、憲法がもっぱら国家権力に関する事柄を扱っており、私たちの日常生活からはかけ離れているからである。例えば、公文書改ざんや統計不正と、野菜の価格が上昇するのとで、どちらが国民にとってより深刻な事態かと問われれば、多くの国民は後者と答えることだろう。もちろん、公文書や統計データの改ざんが民主主義を脅かすことは理解しているが、それよりも家計を逼迫(ひっぱく)しかねない野菜の価格高騰の方がよほど切実な問題である。戦後間もない頃に「憲法より飯を」と叫ばれたが、その価値観はいつの時代も変わらないのである。

 しかし他方で、私たちの日常生活が、憲法上の様々な仕組みによって支えられていることも見逃してはならない。もし公文書改ざんや統計不正が常態化して、国家権力が時の権力者によって私物化されるようになれば、割を食うのは国民である。そのときの割の食い方は、飯を食えないよりも深刻な可能性がある。私たちはいま立憲主義や民主主義が当たり前の世の中を生きているからその大切さを気に留めないが、それが失われた先に待つのは日常生活の喪失である。公文書や統計データの改ざんくらいで何を大袈裟にと思われるかもしれないが、憲法上の価値が毀損(きそん)される度に国民が声を上げる「文化」を築いておかなければ、いざというときには立ち上がることさえできないだろう。

拡大安保関連法案反対を訴える人たちで国会前の通りは埋め尽くされた=2015年8月30日、東京都千代田区
 この文脈でその真価を試されるのがメディアの報道である。日常を生きているだけでは見えてこない問題点を鋭く抉(えぐ)り出して、それにまつわる事実を正確に国民に伝えるのは、報道に携わる者の責任である。とりわけ憲法問題に至っては、国民の情報源がもっぱらメディアに限られるとあって、報道の充実そして公正中立性への要請は高い。しかも、憲法問題の場合、通常の政治問題とは違い、一旦方向性が決まるとそれを容易には覆せないことから、その時々の政治的選好や党派の争いに囚(とら)われない多角的な見地からの情報の分析と提供が求められる。ソーシャルメディアが勢いを増して、嘘も真実も含めた様々な情報が氾濫する中では、なおさら伝統メディアにおける憲法報道の重要性は増している。国民が主権者としての責務を果たすためには、実直なまでの憲法報道が不可欠である。

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筆者

江藤祥平

江藤祥平(えとう・しょうへい) 一橋大学大学院法学研究科准教授

1981年、兵庫県生まれ。2008年、東京大学法科大学院修了(法務博士、専門職)。12年、コロンビア大学修士課程修了(LL.M.)。渉外弁護士、東京大学法学政治学研究科助教、同特任講師、上智大学法学部准教授を経て、21年から現職。専門は憲法。著書に『近代立憲主義と他者』(岩波書店)、『大学生活と法学』(共著、有斐閣)など。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです