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ウクライナ侵攻が変えた世界と日本 国際政治学者・菅英輝さんに聞く(上)

日本外交の進路

菅 英輝 大阪大学招聘教授・九州大学名誉教授

 2022年2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻が世界を激震させている。ヨーロッパにおいて、第2次世界大戦以来の大規模な国家間戦争が始まった。侵攻によって「ポスト冷戦」の国際秩序が揺らいでいるだけではない。軍事力によって現状を変更しないという戦後ヨーロッパの暗黙の前提も崩れた。この武力紛争は世界をどう変えるのか。新たな「冷戦」が到来するのか。アジアや日本外交への影響は……。こうした問いを、冷戦史と日米関係の分野で長年にわたり実証的な研究をリードしてきた大阪大学招聘教授の菅英輝さんに聞いた。インタビューは2回に分けて掲載する。今月号は国際政治全般について、来月号は日米関係と日本外交を聞く。

――なぜプーチン大統領は無謀なウクライナ侵攻に踏み切ったのでしょうか。

 いくつかの要因が考えられます。第一に、これまでのロシアが行ったクリミア併合やウクライナ東部への侵攻に対して国際社会が強い姿勢を取ってこなかったことがあります。欧米の関心の低さと不作為が、プーチンがこれほど大胆な侵攻に踏み切った背景にあることは否定できないでしょう。

 第二に、欧米が経済制裁で一致する可能性は低いと、プーチン大統領が見ていたことです。EU加盟国の中には、ドイツが典型ですが、ロシアの天然ガスや石油に大きく依存している国があります。欧米が制裁に打って出たとしても、足並みがそろわないと甘く見たのでしょう。加えて、中国との対決姿勢を強めているバイデン政権は、ロシアとは現状維持を求めるだろうと予想していたと思われる。トランプ前大統領の「米国第一主義」に見られるようにアメリカの国内世論も内向きを強めています。ウクライナに侵攻しても、アメリカはさほど強く出ることはないと、ロシアが考えた可能性があります。

――昨年8月の米軍のアフガニスタン撤退が「アメリカは国際的な関与を嫌っている」とロシアに思わせた可能性もありますね。

拡大菅 英輝(大阪大学招聘教授・九州大学名誉教授)

 ポスト冷戦の30年間のなかで、ロシアにとってもっとも有利な国際環境が生じていると、プーチン大統領が判断しても不思議はありません。ウクライナ侵攻を決断するならば「いまでしょ」ということです。

 それから、第三の要因も挙げておきましょう。それは、歴史の文脈、冷戦史の文脈です。冷戦が終結したことは、ロシア国民にも当初は大歓迎されたのです。それまでの「収容所群島」のような生活から解放され、自由がもたらされる、将来が明るくなるという期待感が強まりました。しかし、その後のロシアが経験した現実は過酷なものでした。旧ソ連時代にすでに経済は行き詰まっていましたが、冷戦終結当時のアメリカは、冷戦に勝利したことに酔いしれて、ロシア経済の立て直しに直接手を貸そうとはしなかったのです。

――第2次世界大戦後、アメリカはヨーロッパ復興のために巨額の財政支援計画「マーシャル・プラン」を実施しました。

 マーシャル・プランほどの規模でなくとも、ロシアに対しての経済支援はやるべきだったと思います。ソ連崩壊後のロシアで導入された経済の自由化は、オリガルヒと呼ばれる新興財閥を豊かにしただけで、庶民の暮らしは破綻しました。新自由主義的な市場経済はロシア国民を窮乏化させ、その結果民主化も失敗してしまった。ロシア国民の間には、「ソ連時代のほうがまだましだった」という不満が高まりました。2000年に大統領に当選したプーチン氏は、石油と天然ガスから得られる国家財源を使ってロシア経済を立て直し、社会の秩序も回復した。それが国民の支持につながりました。

――西側の軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)は、冷戦の終結後にさらに東へと拡大しました。

 プーチン氏はソ連の崩壊を「20世紀最大の地政学的悲劇」と位置付けています。冷戦に敗北したという屈辱感を、彼は次第に膨らましていきます。しかし、西側はロシアの怨念には無神経で、ロシアの反対にもかかわらず、NATOの東方拡大を続けました。1999年にはチェコ、ハンガリー、ポーランドがNATOに加盟しました。2004年にはバルト三国なども加わり、ロシアと国境を接するウクライナまでもEU加盟、NATO加盟を求めるようになりました。欧米諸国に対する強い不満と不信感がプーチン氏を心理的に追い込んでいったことが考えられます。プーチン大統領の行ったウクライナ侵攻は許されるものではありませんが、西側が冷戦後の秩序にロシアを組み込むことが出来なかったということも、背景にある重要な事実なのです。

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筆者

菅 英輝

菅 英輝(かん・ひでき) 大阪大学招聘教授・九州大学名誉教授

1942年生まれ、熊本県出身。米コネティカット大大学院修了、一橋大博士(法学)。北九州大、九州大、西南女学院大などで教鞭を執る。アメリカ外交史を中心に、日米関係、冷戦史、東アジアの歴史認識問題など幅広い分野で実証研究を積み重ねてきた。主著に『アメリカの世界戦略』(中公新書)、『冷戦と「アメリカの世紀」』(岩波書店)、『冷戦期アメリカのアジア政策』(晃洋書房)など多数。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです