調査報道の未来
2022年07月19日
安倍晋三元首相の秘書が政治団体・安倍晋三後援会の政治資金収支報告書に「桜を見る会」前夜祭の収支を記載しなかったとして政治資金規正法違反(不記載)の罪に問われた事件で、私はこの4月25日、東京地方検察庁の保管検察官の許可を得て、秘書の供述調書などその証拠を閲覧し、翌26日、これに基づく記事を朝日新聞社の専門ニュースサイト「論座 法と経済のジャーナル Asahi Judiciary」(AJ)に出した。
この3月末まで33年にわたって、私は朝日新聞で記者として勤務してきた。その間、地方支局で県警や裁判所を担当しただけでなく、東京社会部では司法記者クラブに所属して裁判所の建物内で日々暮らし、大阪社会部でも特別報道チームでも遊軍記者として様々な民事訴訟記録を調査報道に役立ててきた。しかし、その間、刑事訴訟法に基づく権利を行使して刑事裁判の証拠を閲覧できたということが実は一度もなかった。
正直に打ち明けると、検察庁の正面玄関の壁があまりに高く、面倒だと感じていたから、トライした経験もわずかしかない。これまで私は、民事訴訟記録について、調査報道に欠かせない有用な素材であると考え、そうした主張を何度か発表してきている(注1)ものの、刑事訴訟記録については、使いづらくて非実用的だと考え、その活用に消極的だった。
しかし、図らずも、朝日退社後1カ月弱にして、刑事訴訟法に基づく証拠の閲覧と記事発信を経験した。今、私は考えを改めた。従来と違って今後、刑事訴訟記録閲覧制度は、取材・報道にあたって当たり前のように活用される必須のツールとなり、調査報道の有力な武器になるだろう、と考える。本稿では、▽刑事訴訟記録閲覧制度の建前はどうなっているか、▽これまでの運用の実際はどうだったのか、▽米国ではその点、どうなのか、▽安倍晋三後援会事件の記録をどう閲覧したか、▽同記録の閲覧によって何が分かったか―といった点について、私見をまとめてみたい。
※本論考は朝日新聞の専門誌「Journalism」7月号から収録しています。同号の特集は「調査報道の未来」です。
これの特別法として1987年に制定された刑事確定訴訟記録法は、確定後3年以内の記録について、それを保管する検察官は、請求があったときは閲覧させなければならない、との原則を確認している(4条1項)。
裁判の公開は、近代の自由主義国家における裁判の基本原則の一つであり、日本でも「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ」と憲法82条で定められている。
訴訟記録閲覧制度は、このような憲法上の要請を尊重し、それを実効あらしめ、その趣旨を適(かな)えるために設けられている。裁判公開の原則を拡充し、一歩前に進めたものであり、裁判の公正を担保するとともに、一般の人々の裁判に対する理解を深めるために制度化されている、というのが通説的見解だ。
さらに言えば、訴訟記録閲覧制度は、憲法21条の定める表現の自由、それに含まれる報道の自由、それに派生する取材の自由、国民の知る権利の基盤である。被告人が公職者やその関係者である場合には、その記録閲覧は、国民による参政権の行使にあたっての判断材料を得るのに役立ち、主権在民に資する。
刑事訴訟記録について、私がこの閲覧制度を使ってみようと思い立ち、初めて具体的な行動を起こしたのは、記者になって16年目の2004年のことだ。
大阪・ミナミで料亭や大衆料理店を経営していた尾上縫(おのうえ・ぬい)さんが詐欺などの罪に問われた事件の判決が確定したのを機に、その記録を閲覧しようと考えたのだ。
尾上さんは、バブル経済が崩壊を始めて間もない1991年8月13日に詐欺の疑いで大阪地検に逮捕され、翌92年6月に自己破産した。私が朝日新聞の東京社会部から大阪社会部に異動して着任した1999年11月、彼女を被告人とする刑事訴訟手続きはいまだ大阪高裁の控訴審で続いていた。それだけでなく、彼女の破産管財人が日本興業銀行やその関連ノンバンクを相手取って起こした民事訴訟が複数あり、そのうち終結した訴訟の記録は大阪地裁に保管されていた。私は大阪在勤中、それら民事訴訟記録を集中的に閲覧した。その民事訴訟記録の中には検事調書など刑事訴訟の書証が含まれていた。
東京社会部に戻って1年余が経過した2003年4月21日、最高裁で彼女の上告は棄却され、懲役12年の実刑判決が確定した。私はその記録を閲覧しようと、2004年7月21日、大阪地検の記録担当に電話した。
しかし、結局そのとき、私は閲覧を請求しなかった。それには理由があった。
記憶によれば、大阪地検の係官は私に対し、閲覧請求にあたって「関係者のプライバシーを尊重します」と誓約する趣旨の書面を出してほしい、と求めてきた。
刑事確定訴訟記録法4条がその第1項で「保管検察官は、請求があつたときは、保管記録を閲覧させなければならない」と定めているのは前述した通りだが、その第2項に「次に掲げる場合には、保管記録を閲覧させないものとする」との定めがあり、閲覧不可の場合として「事件が終結した後3年を経過したとき」(4条2項2号)のほかに、記録閲覧によって「犯人の改善及び更生を著しく妨げることとなるおそれがあると認められるとき」(同4号)や「関係人の名誉又は生活の平穏を著しく害することとなるおそれがあると認められるとき」(同5号)などが挙げられている。
大阪地検の記録担当官は、こうしたおそれがないことの保証を求めて、誓約書の提出を求めてきたのだろう。
それを聞いて私は考え込んだ。
すでに私の手元には、民事訴訟記録の閲覧によって刑事訴訟記録の内容の相当部分のメモがある。それなのに、もし、そのような誓約書を検察庁に差し入れてしまえば、把握済みの内容の取材・報道への使用にも制約を加えられるのではないか。
ならば、刑事訴訟記録の正式な閲覧を見送ったほうが後腐(あとくさ)れがないだろう、と私は考えた。
2008年春先、私は、調査報道や内部告発をめぐるアメリカの状況について調べるようにと上司から命じられ、5月に米国に出張した。ニューヨーク・タイムズ本社内で開かれた調査報道記者・編集者協会(IRE)のワークショップに参加した際、その講座の一つで、PACER(ペイサー)というウェブサイトの存在を教えられた(注2)。そこにログインすれば、有料ではあるものの、米連邦裁判所の記録のほぼ全部を入手できるという。さっそく私はクレジットカードを同サイトに登録した。
映画「トップガン」の主人公のモデルと言われた海軍の元戦闘機パイロットで、カリフォルニア州サンディエゴ選出のランディ・カニングハム下院議員が、国防総省の取引先業者から賄賂を受け取ったとして起訴された事件の記録は、そのサイトから簡単にダウンロードすることができた。
私は、同議員と業者の癒着を調査報道で暴いたマーク・スターン記者にインタビューし、2008年10月、それに基づく記事を新聞週間特集の紙面に出した (注3)。その際、カニングハム議員の罪状とその刑事手続きの進捗を確認する必要があり、日本にいながらにして、それが可能であるのは私にとって驚きだった。日本の裁判所や検察庁ではとうていあり得ないことだとよく知っていたからだ。
日米の彼我(ひが)の大きな差を感じるのはペイサーだけではない。
2009年、私は、田中角栄元首相が連座したロッキード事件について米国立公文書館で関連の文書を漁(あさ)った。
米国の検察当局は1979年、日本の政治家への支払いのための送金にあたって輸出入銀行に虚偽の書類を提出したなどの罪でロッキード社を刑事訴追していた。その刑事訴訟記録の所在を探したところ、米国立公文書館の下部組織であるワシントン記録センターに保管されていることがわかった。ワシントン中心部からタクシーで30分ほどの距離にある広大な連邦政府敷地の一角を占める倉庫のような建物を訪ねると、訴訟記録の原本がすぐに出てきた。確定から30年が経過していたが、手に取って読むことができ、コピーもできた。一方、日本ではそれが不可能だった。「理由は申し上げられない」と東京地検の係官が言うので、確たることは分からないが、おそらく確定後3年を経過していることが理由の一つなのだろう。
ロッキード事件の刑事訴訟記録について、米国ではすべて閲覧できるのに、元首相の汚職を暴かれた当事国の日本では全く閲覧できない、というのはあまりに不合理だと私は思った。
2013年11月12日、私は久しぶりに福島地方検察庁を訪れた。
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