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アベノミクスとは何だったのか 正体つかめぬ政策、その本質は

安倍元首相銃撃 残された課題(下)

原 真人 朝日新聞編集委員

 安倍政権に国政選挙6連勝という偉業を成し遂げさせ、憲政史上最長に導いた最大の政治的エンジン―。それは「アベノミクス」だったのではなかろうか。

 いま安倍晋三・元首相の突然の死去を受けて、メディアやSNSにはアベノミクスの功績を称える論調があふれている。たしかに10年ほど前、日本経済に漂っていた沈滞ムードを振り払い、世界の目を日本に向けさせた試みではあった。多くの国民にはその記憶が刻まれている。

 とはいえ2022年に入ってからの急激な円安と物価高騰であぶり出された日本経済の危うさは、アベノミクスが残した負の遺産の顕在化でもある。アベノミクスという劇薬は場合によっては経済全体を殺しかねない毒薬にも変わりうる。そのことを図らずも示すことになった。ならばその「罪」についてもきちんと考察しておく必要があるだろう。改めてアベノミクスの10年を検証しておきたい。

日本経済再生総合事務局の看板を掛ける安倍首相と甘利経済再生相(いずれも当時)=2013年1月7日、内閣府

 正体がつかめない伝説の怪獣「ぬえ」の頭は猿、体はタヌキ、手足は虎、尾は蛇だったという。アベノミクスとは、そんなぬえのような存在かもしれない。時々で世論受けする政策を継ぎ足し続けて肥大化し、異形の政策群と化していった。だから「どんな政策か」と問われても、一言で答えられる人はまずいない。

 第2次安倍政権の7年8カ月のあいだ、政権が掲げた経済政策の目標は「3本の矢」(大胆な金融緩和、機動的な財政出動、民間投資を促す成長戦略)に始まり、「新3本の矢」(強い経済=GDP600兆円、子育て支援=出生率1・8、安心につながる社会保障=介護離職ゼロ)へと広がった。

 さらに一億総活躍、女性活躍、働き方改革、観光立国……。掲げるテーマが次から次へと登場するたびに官邸には直轄の担当部門が設けられ、霞が関からスタッフが集められ、部屋に看板がかけられた。一時は注目されるが、いつしか話題にもならなくなる。政策目標があまりに軽く消費されていった。

 その結果、内閣機構の肥大化が進んだ。今年7月時点で内閣官房に置かれた政策担当室は36室にのぼる。全世代型社会保障構築本部事務局、デジタル市場競争本部事務局、孤独・孤立対策担当室……。

 どこかの省庁に担わせればすむようなテーマが首相直轄となっているものも少なくない。政権の「やってる感」を見せるのにこれほど楽な方法はない。

アベノミクスの「3本の矢」

 こんな調子だから、国民が「アベノミクス」について思い浮かべる政策が百人百様になるのも無理はなかろう。

空回りに終わった異次元緩和

 とはいえ、これら「アベノミクスらしき」政策群から、どの政権でも手がけそうな共通課題を除いていくと、最後に残るものがある。日本銀行による「異次元緩和」だ。これまでどんな政権も手を染めたことがない禁断の経済政策。これこそアベノミクスの本質と言っていい。

 異次元緩和は一言で言えば、かつてない規模で日銀が市場にお金をばらまき、物価上昇の経済環境をつくる試みだ。

 日銀の黒田東彦総裁は当初、市場に投じるお金の総量(マネタリーベース)を2倍にすることで、2年以内に「2%インフレ目標」を達成する、と宣言した。

 そして物価上昇→賃金上昇→消費増→高成長という経済の好循環をめざした。

黒田東彦・日銀総裁は就任直後間もなく「2%インフレ目標を2年で実現する」と宣言した=2013年4月4日、東京・日本橋本石町の日銀本店会見室

 その理論的支柱は、故中原伸之・元日銀審議委員や浜田宏一・米エール大名誉教授ら「リフレ派」のブレーンたちだった。超金融緩和によってデフレを脱却すれば日本経済は再び成長すると主張する人々である。

 安倍氏は「日銀の独立性」という建前などまったく気にせず、リフレ論者たちを日銀の政策決定会合メンバーに相次ぎ起用した。その筆頭が黒田総裁であり、経済学者から副総裁に転じた岩田規久男氏だった。政策を決める審議委員にもリフレ派を次々と送りこんだ。
世論から大いに歓迎されてスタートした異次元緩和だったが、「2年で達成する」としていたインフレ目標は9年余り経っても達成できなかった。その間も日銀は紙幣(電子データも含め)を刷り続け、その結果、日銀が市場に投入するお金の量(マネタリーベース)は当初想定の2倍どころか、5倍の約670兆円にまで膨張した。

 しかし

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