憲法9条の真価
2022年08月13日
2022年2月24のロシアによるウクライナ侵攻は全世界に衝撃を与えた。地理的には遠く離れる日本国民の心理にも大きな影響を与えている。侵攻後の3月中旬から4月下旬に行われた朝日新聞の世論調査によると、「ウクライナ侵攻によって、日本と日本周辺にある国との間で戦争が起こる不安を以前より感じるようになった」と答えた人は8割にのぼった(注1)。ウクライナ情勢を理由として権力集中的に憲法改正をせんとする動きも強まりつつある。もっとも、ロシアによるウクライナ侵攻が、かつての日本による中国侵攻と重なることへの「恥ずかしさの感覚(注2)」は希薄であると観察されうる。テレビを中心とするマスメディアのウクライナ報道が過剰であるとの批判もあるが、それは結局のところは視聴者が見たいから(視聴率がとれるから)でもある。私たちは、平和をめぐる様々な事象をどのように捉えているのだろうか。
ことは日本国憲法の謳う平和主義への国民的意識と深く関わる。憲法9条は、権力の統制という構造面でいえば実力組織の立憲主義的統制の礎として(注3)、またイメージ面でいえば「戦争をしない国」の象徴として、存在している。憲法9条そのものは軍隊に権限を与えないという国家統治機構の権限配分に関する規定であり、つまり「無」を定めるものであるから、憲法の謳う平和主義にとっては、内実を充填する積極的な国家実践(憲法実践)が肝となる。いわば、常に更新され続ける一大プロジェクトである。
先に挙げた朝日新聞世論調査によると、国民の間では依然として「平和国家たる日本」といったアイデンティティが共有されており、ウクライナ侵攻によっても大きな変化があるわけではないようである(注4)。
また外からも、日本は依然として武力には遠慮がちな国、あるいは遠慮がちであることを謳ってきた国と見られているものと思われる(注5)。日本政府は戦後、武力行使の否定を掲げて平和外交をしてきたわけではない(注6)。また日本は核兵器禁止条約(注7)にも不参加である。しかし2022年3月23日のゼレンスキー・ウクライナ大統領による国会での演説(オンライン)(注8)が日本に軍事的な貢献を求めなかったのは、日本にできることには憲法的な限界があると認識されていたからかもしれない。
国民的意識や国際的認識は変化をする。国家の背景をなす実力の統制に国民が無関心である場合、そして国民の間で不安感が過剰に強く感じられる場合には、容易に安保環境の変化とみなされ、事情の変更へとつながろう。軍事的な威勢のよい議論は人々の心に訴えかけ、行動させるエネルギーを持つことも多い。しかし事情が変わり制度が変更される場合に、それが十分に理にかなっているかは、別問題である。
国家の安全保障に関わる判断決定が理にかなっているか検証しうる民主的制度を構築・維持し文民統制を図ることは、武力行使を原則として違法化した今日の国際法秩序において(注9)、諸国民の責務である。平和主義を徹底して謳う日本国憲法にコミットするならば尚更である。
日本で文民統制はいささか漠然とした概念であり、その制度的なありようは主として法律や慣行に依拠している。憲法の謳う平和主義に足る実質を備えた実効的な統制実践を積み上げられるかが問われている。しかし日本の現行法制において、民主的に軍事を統制する仕組みは十分ではない。本稿では2017年朝鮮半島危機を例にこのことを素描し、問題点を指摘したい。
注
1 https://digital.asahi.com/politics/yoron/kenpo2022/?iref=com_yorontop
2 宮崎礼壹「台湾有事と集団的自衛権」世界959号(2022年)115頁。
3 青井未帆「平和主義をめぐる立憲主義的統制」山元一編『講座 立憲主義と憲法学〔第1巻〕』(信山社、2022年近刊)の参照を乞う。
4 上掲の朝日新聞世論調査では憲法9条を「変えないほうがよい」と答えた人は59%だったが、この値は前年(2021年)と比べてあまり変わらず、非核三原則や安全保障の非軍事的は高い支持を受けている。
5 2015年安保法制の制定に際しては外国からの注目も集めたところ、憲法9条を持つ国柄との関係から分析・報道したものも多く見られた。例として、https://www.bbc.com/news/world-asia-34278846など。
6 安倍政権は「積極的平和主義」を掲げて外交を行ったが、そこにおける平和主義は憲法9条との下で語られてきた平和主義とは内容を大きく異にする。
7 核兵器禁止条約(2021年1月22日発効)。
8 衆議院事務局による仮訳として下記を参照。
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/topics/kokkaienzetu220323.html
9 国連憲章2条4項。
2014年の閣議決定は集団的自衛権を限定的に行使容認し、2015年の一連の法改正及び新法制定により存立危機事態、重要影響事態等の新たな枠組みが作られた。国会審議では、既存の事態との関連が必ずしも明確にされず、新しい枠組みでは多くの重大な判断が時の政権に挙げて委ねられる制度となっている。その点は国会においても問題視され、安保法制成立に際し、国会関与の強化について付帯決議がなされた(注10)。決議では「平和安全法制に基づく自衛隊の活動に対する常時監視及び事後検証のための国会の組織のあり方、重要影響事態及びPKO派遣の国会関与の強化については、本法成立後、各党間で検討を行い、結論を得ること」とされていた。しかし2015年安保法制が翌年3月29日に施行されてはや6年が経つが、いまだに国会による安全保障部門の常時監視や検証、そして安全保障に関する情報へのアクセス等、国会関与の仕組みは整備されていない。現状では、内閣がいかなるタイミングで何をどう説明するのか、そして国会がどこまで機微な情報に関わる実質的な判断をできるのかなど明らかではない。
このことの問題性を2017年朝鮮半島危機を例に見てゆくわけであるが、
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