メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

すべての人類の安全保障へ 高まる「軍縮教育」の価値

核と向き合う(上)

中村桂子 長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)准教授

 6月23日、核兵器禁止条約の初となる締約国会議が閉幕した。オーストリアの首都ウィーンで3日間にわたって開催された会議は、「核なき世界」への決意表明となる政治宣言と、条約履行に向けたロードマップとなる行動計画を無事採択した。会議場は各国政府や国際機関の代表とともに多くの市民社会からの参加者で溢れ、その場を満たした熱気と高揚感は、閉幕時の鳴りやまない拍手と人々の興奮冷めやらぬ表情からも十分に見て取れた。

拡大「核なき世界」を実現する道のりを話し合った核兵器禁止条約の第1回締約国会議。34のオブザーバー国も含め、80以上の国・地域が出席した=2022年6月21日、ウィーン

 しかし、いったんそこから目を転じると、ウィーンでの熱を帯びた光景がまるで異世界の出来事であるかのように、「核兵器のある世界」の現実が続いている。締約国会議、そしてそれに先立って行われたNGO主催市民フォーラム並びにオーストリア政府主催「核兵器の非人道性に関する国際会議」を通しては、日本から多くの報道関係者も参集し、会議動向だけでなく、被爆者や若者らの活動の様子を子細に報じた。だがそうしたメディアでの取り上げ方一つをとってみても、被爆地と日本の他の地域の間に、また日本と世界との間に、明らかな温度差があった。

 ウィーンでの盛り上がりを皮肉るつもりは毛頭ない。一連の会議はいずれも間違いなく成果を残した。しかしそれを喜び、今後に期待を寄せる声を聞けば聞くほど、同時に存在する「冷ややかな視線」も一層強く意識せずにはいられなくなっている。そんな条約で安全が守れるのか。もっと現実を見ろ。ウクライナ然り、北朝鮮然りと―。こうしたギャップは各国間の立場の違いだけではなく、政府と市民の間にも、また、ごく一般の人々の意識の中にも存在する。そして進行中のウクライナ危機はいやがうえにもこの亀裂の深さを際立たせている。

国際合意としての軍縮教育

 核兵器禁止と廃絶を「世界の声」とするためには、こうした核意識の分断を乗り越え、真の意味での「橋渡し」をしていかなければならない。核軍縮への逆風が吹き荒れる中で、私たちはいかにしてこの溝を埋め、「核なき世界」への歩みを進められるだろうか。本稿では、核兵器禁止条約にも登場する「軍縮教育」を手掛かりに、私たちの課題を考えてみたい。

 核兵器禁止条約が、軍縮教育という言葉が入った初の国際条約であることはあまり知られていないかもしれない。条約の前文は次のように述べている。

 また、全ての側面における平和及び軍縮に関する教育、並びに現在及び将来の世代に対する核兵器の危険及び結末についての意識を高めることの重要性を認識し、また、この条約の諸原則及び規範を普及させることを約束し(太字は筆者。外務省仮訳を一部変更)

 ただし、軍縮教育そのものは、核兵器禁止条約誕生の遥か以前から、グローバルな核軍縮の促進に向けた重要要素として広く認識されてきた。初めて国際的な合意文書に登場したのは冷戦時代、激化する軍拡競争を背景に開催された1978年の第1回国連軍縮特別総会(SSDI)の場であった。合意された最終文書が「軍拡競争の問題点と軍縮の必要性についての理解促進・啓発」に向け、各国政府や国際機関、NGOに「あらゆるレベルを対象とする軍縮・平和教育のプログラム開発に向けた具体的措置」を求めたのである。

拡大第1回国連軍縮特別総会に参加した日本国民代表団のデモ行進=1978年

 これを受け、2年後の1980年には国連教育科学文化機関(UNESCO)が「軍縮教育に関する世界会議」を開催した。最終文書では軍縮教育が基づくべき「原則・考え方」が整理された。客観的情報の重要性、批判的思考力の必要性、文化の多様性・社会正義の価値観など「軍縮教育10原則」と呼ばれるもので、その内容は現代にも十分通じるものである。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

中村桂子

中村桂子(なかむら・けいこ) 長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)准教授

NPO法人ピースデポ事務局長を経て2012年から現職。専門は核軍縮。軍縮・平和教育を通じた人材育成にも力を注いでいる。近著に『核のある世界とこれからを考えるガイドブック』(法律文化社、2020年)。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです