報道とジェンダー(上)
2022年09月26日
メディアで働く者たちのジェンダーの問題が大っぴらに語られ始めたのは、ここ最近のことだ。振り返れば、激動の数年間だった。2015年には、職場(毎日新聞社)の女性記者だけで取材チームを作り、当時の安倍政権が打ち出した「女性活躍推進」に対抗するがごとく、女性の生きづらさや政治家の女性比率の低さなどを指摘する連載「ガラスの天井」を展開した。
連載スタート後に「男性の上司から、『女の愚痴だ』と言われている」と聞いて憤慨したことを覚えている。また「ジェンダーという単語を迂闊に書くと、外部からクレームが来るのではないか」と話していたことも思い出す。今になって思えば、「何を躊躇することがあったのだろうか」と思うが、そんな時代だった。
日本国内において、メディアを取り巻くジェンダー平等の流れは遅々として進まなかったが、転機が訪れた。メディアで働く女性たちが、「自分ごと」として職場のジェンダー問題を語り始めたのだ。きっかけとなったのが、18年4月に週刊誌報道で明るみに出た、財務事務次官から取材中の女性記者が受けたセクシュアルハラスメント事件だ。
取材先からのセクハラは、私が入社した98年当時からあった。自らが受けたセクハラ被害について、「業務の一環」だと思うことで受け流した自分がいた。記者は日頃から警察、行政機関などの公務員、政治家といった公権力に取材を行っている。18年の財務次官の事件をきっかけに、多くの女性記者が自らの被害について告発し、労働組合のアンケートや当事者の告発からも数多くの被害が明らかになった。
新聞・通信社、放送、出版、印刷などメディアの労組の全国組織で作る「日本マスコミ文化情報労組会議」(MIC)が同年7月18日から8月17日にかけて実施したウェブアンケートでは、428人の回答者のうち、女性の74%がセクハラ被害に遭っていることがわかった。特に外勤記者については、88・9%が、警察、検察、地方・国家公務員、政治家の取材先からセクハラ被害を受けている実態が明らかになった。業務上の付き合いの中でセクハラが横行し、著しい人権侵害が野放しになっていたのだ。
このようなセクハラが常態化し、受け入れてしまう背景には何があるのか。いつからセクハラを受け入れる人間になったのか。労働組合でセクハラ被害について防止を訴える活動を続ける中、自問自答してみた。
いつからだろうか―。
入社してからのことを思い出すと、
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