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血に染まった「左翼のバトン」 躓きの歴史刻み、つなげるか

左翼はどこへ(上)

代島治彦 映画監督、プロデューサー

 この何年か、ことあるたびに20年以上前にベルリンの街で見つけた「Stolpersteine(躓〔つまず〕きの石)」のことを考える。ホロコーストで犠牲になったひとたちが、かつて暮らしていた家の前に設置されていた。それぞれの人生の記録が刻まれた10㌢四方の大きさの金色のプレート。

 人間の悲しみの歴史。それはくり返されるのか。権力によって隠蔽され、御用学者によって捏造され、メディアによって流布され、学校の先生によって教えられる悲しみの歴史は、次の時代の人々の社会から忘れ去られたときに再びくり返されるのかもしれない。今年9月27日に開催された安倍晋三元首相の国葬をめぐる一連の動きを眺めながら、そんな未来の危うさを予知する赤い信号のような考えが頭のなかで明滅しつづけていた。

拡大ベトナム戦争に反対する学生らと警官隊。煙をあげているのは警察の警備車=1967年10月8日、東京・大田区、朝日新聞社

 9月21日、永田町の首相官邸近くの路上でひとりの老人が焼身自殺を図った。70代の老人で「国葬反対」のメモが現場に残されていたという。いまから55年前の1967年11月11日、同じように首相官邸前でひとりの老男が抗議の焼身自殺を図った。男は由比忠之進(ゆい・ちゅうのしん)さん(73歳)。翌日に訪米予定の佐藤栄作首相に宛てた抗議書を携えていた。「ベトナム民衆の困苦を救う道は、北爆を米国がまず無条件に停止するほかない」「北爆を支持する首相に深いいきどおりをおぼえる」。北爆とはベトナム戦争のさなか、米軍が北ベトナム(ベトナム民主共和国)に対して行った爆撃のことである。

 由比さんは翌日、病院で死亡した。今回の国葬前に焼身自殺を図った老人は助かった。ベトナム反戦運動が盛んだった1960年代後半、国葬前に自殺しようとした老人はおそらく20歳前後だったであろう。70代となった元若者は由比さんの心情を現代に甦(よみがえ)らせようとしたのではないか。しかし、それは無謀な試みだった。由比さんが生命をかけたあの時代の戦争反対の精神が1970年代の時代の迷路で断絶し、いまの時代の人々の社会からほとんど忘れ去られているから。

 北ベトナムへの爆撃の出撃拠点は、当時米軍統治下の沖縄だった。67年11月12日(由比さんの事件の翌日)、訪米した佐藤栄作首相は日米首脳会談で沖縄返還を決めてくる。5年後の72年5月15日、沖縄本土復帰。サンフランシスコ平和条約発効(52年)から20年にわたり、正式に米軍の施政下に置かれた琉球列島のひとびとがどれだけ苦しんだか。本土防衛の盾にされた沖縄戦の悲劇が癒える間もなく、日本の主権回復と引き換えに本土から切り離された、いや本土の生贄(いけにえ)にされた琉球列島に、どうしていま新たな米軍基地を押し付けることができるのか。

権力の家系とその精神

 「今となっては昔のこと(今は昔)」だが、そう言ってしまえない危うさを感じずにはいられないいま、ぼくは64歳である。58年生まれのぼくが物心ついたころは、安倍元首相の祖父である岸信介首相が日米安保条約成立と刺し違える形で退陣し、「所得倍増計画」を打ち出した池田勇人首相を経て、安倍元首相の大叔父である佐藤栄作首相の時代に入っていた。佐藤の首相在任期間64年11月から72年7月まで、その2798日のほとんどはぼくの小学校時代に重なる。

 ここにひとつの権力の家系が浮かび上がる。これはあくまで個人的見解であるが、こういうことになる。岸、佐藤、安倍。岸は60年安保闘争によって若者を左傾化させ、佐藤は左傾化した若者の過激化に対抗する公安警察も含めた警察力を構築し、安倍は不安や不満を抱える若者をほんのちょっぴり右傾化させたように思う。

 この権力の家系に脈々と受け継がれた精神は「米国から与えられた屈辱の憲法を改正し、米国の属国から真に独立すること」だろう。安倍元首相は「特定秘密保護法」(2013年)「安全保障関連法」(15年)「改正組織犯罪(共謀罪)処罰法」(17年)を成立させ、その布石を打った。

 権力はいつの時代も「そっちの水は辛いぞ、こっちの水は甘いぞ」と弱い人間を誘う(そういう意味では安倍元首相と特に関係が深かったと言われる新興宗教団体の体質と同じだ)。

 天皇、皇族を除く国葬は、元連合艦隊司令長官東郷平八郎(1934年6月5日)、西園寺公望元首相(40年12月5日)、山本五十六元連合艦隊司令長官(43年6月5日)などの例以後、日本国憲法施行に伴い国葬令が失効した戦後は、当時の佐藤内閣の決定で吉田茂元首相(67年10月31日)の国葬が行われた。

 戦後2例目となる国葬は安倍元首相の功罪のうちの罪を隠蔽し、その家系に受け継がれた精神を称揚するための儀式だったのではないか。だからこそ、国葬当日にも武道館の会場周辺で弔意を示す賛成派と国会前でデモを行う反対派の対抗・分断が大きく報じられた。久しぶりに右翼と左翼、保守とリベラルが顕在化した、ある意味では戦後民主主義の夢が瞬間的に復活した一日のようにも思えた。

 その家系の目標の邪魔になる過去は「今となっては昔のこと(今は昔)」と隠蔽するか、都合よく書き換える。帝国の栄光(もしもそんな過去があればのことだが)は「今に甦らせたい昔のこと(昔は今)」として復古させる(隣国に侵略戦争を仕掛けた北の大国の大統領と思考が似ている)。国民はほんとうにそんな安倍元首相の政治思想を理解し、支持していたのだろうか。

 ここまで安倍元首相国葬の前後に頭に浮かんだことを書きながら、腹が立ってきた、改めて。日本は明治以降の近現代史を総括しきれていない国だ、あるいは中国やアジア諸国に対する侵略戦争を反省しきれていない国だ、そしてそのことを戦後の社会から隠蔽するために第2次世界大戦後の戦後史を自分たちに都合よく書き換えようとしてきた国だ。戦後、この国は経済的な豊かさと引き換えに国民にわからないように人間の悲しみの歴史を消してきたのではないか。ぼくは人間の悲しみの歴史を「今は昔」のこととし、国家の輝ける歴史を「昔は今」のこととするいまのこの国の風潮に危うさを感じる。

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筆者

代島治彦

代島治彦(だいしま・はるひこ) 映画監督、プロデューサー

1958年、埼玉県生まれ。「三里塚のイカロス」(2017年)で毎日映画コンクール・ドキュメンタリー映画賞を受賞。2021年公開の「きみが死んだあとで」は1960年代から70年代に沸騰した学生運動の全体像をとらえる作品として注目を集めた。現在、2023年公開をめざして新作「彼は早稲田で死んだ(仮題)」を製作中。著書は『ミニシアター巡礼』(大月書店)、『きみが死んだあとで』(晶文社)など。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです