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左派が失った大きな「物語」 救い求める人々の向かう先

左翼はどこへ(下)

仲正昌樹 金沢大学教授

 日本で「左派」系の思想が衰退し続け、政府・自民党のあら探ししかしていない、と言われるようになってから久しい。リベラルな正義論、熟議的/闘技的民主主義、承認論、文化人類学的な負債論などが時折輸入されてきて、多少話題になるが、それらをめぐって本格的な議論が展開し、新しい社会思想の潮流を形成するということにはならない。すぐに元の、ひたすらアンチの左派に戻ってしまう。私は、こうなっている大本の原因は、左派が人に生きる希望を与えられるような「物語」を失っていることにある、と考えている。この問題は、現在話題になっている「統一教会問題」とも深いところで繋(つな)がっている、とも思っている。

マルクス主義の大きな「物語」

 「物語」を意味する英語〈story〉は、「歴史」を意味する〈history〉と、同じ語源―ギリシャ語の〈historia〉―から派生した言葉である。同じく〈historia〉から派生したフランス語の〈histoire〉には両方の意味がある。ドイツ語の〈Geschichte〉にも二つの意味がある。このことは、「物語」と「歴史」にもともと区別がなかったことを示唆している。過去に起こった出来事を語り伝える〈historia〉という営みが、神や魔物も登場し、創作も含んでいる「物語」と、客観的な事実を時系列に即して記録する「歴史」に次第に分化したことを意味する。

 「物語」と「歴史」が決定的に分かれたのは、近代に入って、歴史学が一つの学問分野として確立され、「歴史」には客観的な発展法則があると想定されるようになってからだとされる。カント(1724~1804年)、コンドルセ(1743~94年)、ヘーゲル(1770~1831年)、コント(1798~1857年)といった近代初期の哲学者たちは、人間本性の分析や過去の文明の繁栄と衰退の記録を掘り起こすことを通して、人類の「歴史」がどういう法則に基づいて、どこに向かって発展しているのかを明らかにしようとした。

 「歴史」は、良い方に「進歩している」というのが彼らの共通前提であった。封建的な身分制や慣習が解体して、諸個人が自由に活動するようになったのに伴って、科学技術と経済が急速に発展したことで、知識人たちは「進歩」を確信するようになった。理性の発展を妨害しているものを取り除きさえすれば、人類はどこまでも「進歩」し、より幸福な生活を送れるようになると思われた。

拡大ソ連時代に作られたカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの像=キルギスタン・ビシュケク、MehmetO/Shutterstock.com

 そうした近代の歴史哲学・歴史観で最も強い影響力を及ぼしたのが、マルクス(1818~83年)とエンゲルス(1820~95年)によって原型が作られた唯物史観だろう。ドイツ観念論の完成者とされるヘーゲルが、芸術、法律、道徳、宗教など文化的な形成物(Bildung)の中に現れてくる「精神(Geist)」という、かなりの教養(Bildung)があるインテリでないと何のことか分からないものを中心に歴史を描いたのに対し、唯物史観は、経済的な生産様式(土台)の変化に伴って、宗教、芸術、学問、法律などの上部構造も変化する、という即物的な発想で、歴史の発展を説明しようとした。

 世界史はこれまで、原始共産制社会→奴隷制社会→封建制社会→資本主義社会、と四つのステージを経てきて、これから最終ステージである社会主義・共産主義社会へと向かおうとしている、という。次のステージへの移行の決め手となるのは革命である。革命は、搾取されてきた階級と搾取する階級との間の階級闘争の結果、前者が勝利する形で成就する。抑圧されてきた者たち、それまでの歴史では存在を忘れられてきた者たちが、階級闘争の主体となり、歴史の勝者になる、というわけである。

 「唯物史観」が影響を拡大できた理由はいろいろ考えられるが、最も注目すべき要因として、「階級闘争」を強調するし、労働組合運動に参加する労働者を中心とする社会的弱者たちに、自分たちが他人のために働かされる苦役から解放されるという希望と、自分がその闘いの戦士になれる、なるべきだという使命感を抱かせることに成功したことを挙げることができよう。

 唯物史観のもう一つの〝強み〟は、無神論でありながら、世界創造以来の「歴史(=物語)historia」を、神に導かれた「神の国」と、堕天使が支配する地の国の闘いと見るキリスト教の終末史観、あるいは、その終末が近いとして人々が行動を起こす千年王国運動など、キリスト教的な言説・運動と深層において通じていたことだろう。民衆が抱いていた、キリスト教のユートピアのイメージに似ていたので、比較的スムーズに感情移入しやすかったのかもしれない―マルクス主義者はそれを認めたがらないが。

 マルクス主義を標榜するボリシェヴィキの革命がロシアで成功し、ソ連が巨大な工業・軍事国家となり、第2次大戦後、社会主義国が相次いで誕生したことで、一時期、唯物史観の告知した未来が法則通りに実現しつつあるように見えた。「唯物史観」は歴史の発展法則であると同時に、人々に自分たちがユートピア実現に向けての大きな流れに参加していると感じさせることのできる、壮大な物語でもあった。

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筆者

仲正昌樹

仲正昌樹(なかまさ・まさき) 金沢大学教授

1963年、広島県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了。専攻は政治思想史、比較文学。著書に『今こそアーレントを読み直す』(講談社現代新書)、『ポストモダンの正義論―「右翼/左翼」の衰退とこれから』(筑摩書房)、『精神論ぬきの保守主義』(新潮選書)、『統一教会と私』(論創社)、『〈知〉の取扱説明書』(作品社)など多数。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです