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戦時下のジャーナリズム 試されるプレスの自由

戦争の「盾」~ジャーナリズムの責任~(4)

江藤祥平 一橋大学大学院法学研究科准教授

あるアメリカ人活動家の軌跡

 ごく私的な話になるが、2001年9月11日、私はアメリカにいた。その日のことはよく覚えている。テレビでは、2機の旅客機が世界貿易センタービルに突っ込み、ツインタワーが次々と崩落する映像が繰り返し報じられていた。画面には、“America Under Attack”の文字とともに、「パールハーバー以来となる最悪の攻撃」の文字が躍っていた。その夜には、ブッシュ大統領がアメリカ国民に向けて演説を行い、私もテレビに必死にかじりついて状況を把握しようとしていた。

3.11の米同時多発テロを伝える朝日新聞=2001年9月12付朝刊1面

 その翌々日だったか、最悪の知らせが私の元へ届いた。私にアメリカ行きを推してくれた大学の同級生の名が、墜落した飛行機の乗客名簿にあったのである。その夜、私はスティーブ(Stephen Holbrook)に電話をした。スティーブとは1カ月ほど前に私がアメリカに到着したその日にたまたま出会った。スティーブは、アメリカの激動する歴史を駆け抜けてきたような人だった。彼を一躍有名にしたのは、1964年夏、ミシシッピ州で展開されたフリーダム・サマー運動である。

 黒人の有権者登録を助けるこの運動に、スティーブは公民権運動の活動家としてユタ州から参加していた。運動は激しい抵抗にあい、実に1062人が逮捕され、3人の活動家が誘拐、殺害された。スティーブもまた警察当局に逮捕された。しかし、スティーブの場合、若い白人男性であったことも考慮されたのか、ユタ州知事が「ユタ州市民の身に何が起こっているのか」と苦言を呈し、同州選出の上院議員もスティーブの状況が直ちに改善されるよう取り計らったおかげで、遅滞なく釈放された。

 1965年にユタ州に戻ったスティーブは直ちにベトナム戦争の反戦運動に身を投じた。国内ではいまだ黒人が抑圧されているというのに、ベトナム人を抑圧から解放するという政府の姿勢は、偽善にしか映らなかったからである。だが反戦運動は困難を極めた。原因は、反戦運動のメッセージを主要メディアがほとんど報じなかったことにある。メディアが報じないのなら、報じざるを得ない状況に追い込むしかない。そう考えたスティーブは、軍の徴兵検査場の入り口で「座り込み運動」を展開し、逮捕された。逮捕された事実が報道されれば、反戦メッセージも報じざるを得なくなると考えたからである。その読みどおり、逮捕の報道とともに州内に反戦運動が広がっていった。

 スティーブは、戦争の実態を人々が正しく知ること、そのためには戦争をめぐる多様な視点や意見がメディアで報じられることが不可欠だと考えていた。ところが、主要メディアの報道ではそうはいかなかった。この経験をきっかけに、スティーブは、1979年にコミュニティー主体の非営利のラジオステーションKRCL90.9FMを立ち上げた。真に公衆に開かれた良質なフォーラムを設立するというスティーブの理念には、あの映画俳優ロバート・レッドフォードも賛同した。

 スティーブは反戦運動ののちに、州議会の議員を3期務めた。スティーブは議員のときに、被爆者に会う機会があったと私に話した。私がそのとき何を思ったかと聞いたら、スティーブはためらうことなく“I am ashamed”と言った。私は後にも先にも、アメリカ人が原爆投下を「恥じている」と言っているのを聞いたのはこのときだけである。そのスティーブにあの夜、私が電話したのは、幾多の困難をくぐり抜けてきた彼なら、むごすぎる目の前の現実にも一筋の光を示してくれるような気がしたからである。

 その後アメリカは、アフガニスタン、イラクを相手に戦争に突入した。対イラクの開戦根拠はかなり疑わしかったが、アメリカの主要メディアは、大量破壊兵器の存在が先制攻撃を正当化するというブッシュ政権の言い分を鵜呑みにした。ただベトナム戦争のときと一つ違ったのは、開戦前から反戦運動の大きなうねりが起きたことである。この運動は戦争を止めるには至らなかったが、戦争の実態は早々と人々に伝わった。戦争に前のめりだったニューヨーク・タイムズも自分たちの過ちを認めた。スティーブが命懸けで築こうとしてきたアメリカの文化は、辛うじて生き続けていた。

憲法9条の構造的解釈

 話の舞台は日本に移る。2022年12月16日に「安全保障関連3文書」が閣議決定された。そこに示された日本の新しい国家安全保障戦略は、防衛費の国内総生産(GDP)比2%増額や反撃能力(≒敵基地攻撃能力)の保有を主な内容としている。政府は「専守防衛」の考え方を変更するものではないとしているが、戦後の日本の安全保障戦略における「歴史的転換点」になるとして、海外のメディアでも大きく報じられた。

臨時閣議後の記者会見で安保関連3文書などについて説明する岸田文雄首相=2022年12月16日、首相官邸

 この戦略転換をめぐっては、「自衛のための必要最小限度の実力」を超えるものであって、憲法9条に反するか否かが議論されている。もちろんこれは重要な論点であるが、この問題を9条だけに着目して議論するのでは狭すぎる。日本国憲法の条文は、9条に限らず、あらゆる条文が有機的連関の中で成立している。法文の意味は、その法文のみから導き出すことはできず、憲法全体の構造(structure)に照らして初めて理解することができる。構造的解釈と呼ばれるこの手法は、特に法文が抽象的な文言(=原理)の場合に必要とされ、法解釈の方法としては広く知られたものである。

 一つ例を挙げると、現在、私の住むオーストラリアの憲法には「言論の自由」を定めた規定はない。よって法文のみを重視するなら、オーストラリアには言論の自由は存在しないことになりそうである。しかし、連邦の最上級裁判所は、政治的言論の自由は、憲法の構造によって暗に示されている(implied)という。なぜなら、憲法の立脚する代表民主制や責任政治の構造は、政治的言論の自由を認めずして成り立ちえないからである。代表を選ぶにも、代表の責任を問うにも、自由な言論空間は不可欠である。

 憲法9条論にしばしば欠如してきたのが、この構造的解釈の視点である。そもそも9条は法文としては明確な規定ではない。戦争放棄と戦力不保持を定めてはいるが、自衛権の行使は許されるのか、どの範囲までなら自衛力の保有として許されるのか、法文のみから知ることはできない。そこで従来、政府見解が幅を利かせてきたのだが、政府見解が即ち9条の意味となるわけではない。それでは9条が存在する意味がなくなる。法解釈というからには、9条の意味は、憲法の構造から導かれねばならない。

 同じく、9条を同盟と防衛力の観点のみから捉えるリアリズムの議論にも、構造的解釈の視点が欠如している。もし同盟と防衛力だけが問題なら、9条など必要なかったはずである。「仮想敵国」との戦争リスク次第で、いかようにも膨張できるなら、9条の戦力不保持など無意味に等しい。そもそも戦争リスクを言うなら、憲法制定当初の方が遥かに高かったはずである。にもかかわらず、戦争の記憶を私たちよりも遥かにリアルに有していた世代の人々は、9条の武装解除を歓迎した。これは、9条が同盟や防衛力とは別の論理に立脚していることを示唆している。

 では、9条はいかなる憲法構造にはめ込まれているのか。大きな柱の一つが、憲法21条に象徴される民主制の構造である。同盟と防衛力を強調するだけなら、戦前の日本と変わりはない。戦後日本が戦前と決定的に異なるのは、立憲民主制に転換したことである(なお、大日本帝国憲法下における「言論の自由」は、法律の留保を伴う点で21条とは決定的に異なる)。これは戦争や戦力をめぐる議論が、リアリズムの観点に尽きないことを意味している。むしろ、リアリズムの視点を民主制の観点から不断の批判的検討にさらすことを、21条は9条に要請している。

 むろん、リアリズムの論者は、まさにその民主制の実現のために、同盟や防衛力の強化が必要だというであろう。アメリカは、まさしくその論拠で軍拡と戦争を展開してきた。しかし、「怪物と闘う者は、その過程で自らも怪物にならないよう、気をつけなければならない」(ニーチェ)。ベトナム戦争然り、イラク戦争然り、アメリカが民主主義の名の下に展開した戦争が、いかに危ういものであったかを歴史は示している。それでもアメリカが何とか民主国家として踏みとどまってこられたのは、反戦・非戦を含む多様な視点が、言論の自由の名の下に広く展開されてきたからである。

 翻って、日本は防衛費を向こう5年で世界第3位の水準にまで引き上げたとして、それに耐えうるだけの民主的基盤を築けているのか。「国境なき記者団」による2022年の報道の自由度ランキングで、日本は世界71位、「問題あり」の部類に属している。その理由として同記者団は、日本政府や企業の圧力によって主流メディアに「自己検閲」が生じていることを挙げている。日本より下にランクしている国家の多くが発展途上国や権威主義国という中で、報道の自由に問題を抱える日本が世界3位の「軍事大国」になることの意味を真剣に考える必要がある。

 ランキングは実態を反映していないと批判するのは容易(たやす)い。しかし世界からどう見られているかは民主国家にとって決定的に重要である。カントにまで遡(さかのぼ)る民主的平和論は「民主主義国家同士は、めったに戦争しない」とするが、その前提の一つには民主国家は情報開示性が高く、囚人のジレンマに陥ることが少ないことが挙げられる(不完全情報問題の克服)。もしこの前提が崩れるようなら、日本は他の民主政国家からも危険リスクとみなされることになる。9条で普通の国家になりたいのなら、まずは21条で普通の国家になる必要がある。

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