三浦俊章(みうら・としあき) ジャーナリスト
1957年、鹿児島市生まれ。84年、朝日新聞社入社。政治部、ワシントン特派員、論説委員、編集委員などを経て、2022年、退社。著書に『ブッシュのアメリカ』(岩波新書)、『日米同盟半世紀 安保と密約』(共著、朝日新聞社)など。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
戦争の「盾」~ジャーナリズムの責任~(5)
都内の大学で、戦争とジャーナリズムについての講義を10年近く続けている。扱うのは第1次世界大戦からイラク戦争までの約100年で、どのような戦争が起きたのか、メディアはそれをどう伝えたのか、がテーマである。毎年、講義を始めるにあたって次のような話をしてきた。
「第2次世界大戦が終わってからの時代は、人類の歴史の中で、まれな繁栄と安定の時代でした。米ソの間で冷戦はあったのですが、二つの超大国同士が正面から戦うことはありませんでした。しかし近年、その戦後の平和を支えてきた国際秩序がきしみ、世界は再び不安定になりつつあります。過去100年の戦争の歴史を学ぶことは、これからの時代を生きるみなさんにとって不可欠の教養と言ってよいでしょう」
年を追うに従って、開講の辞が現実味を増してきた。昨年2月にロシアがウクライナ侵攻を始めたことで、私の恐れは決定的になった。
国境を突き破って進む戦車、崩れる建物、逃げまどう人々。現地からの映像に言葉を失った。この大規模な地上戦は、どこまで世界を揺さぶるのだろうか。
昨年私が行った講義は、こうしたウクライナの戦争の展開と同時進行だった。ただし授業では、直接戦争の解説はせずに、これまでの戦争の歴史を学ぶことに徹した。なぜならば、ウクライナで起こっていることのほとんどは、20世紀の戦争に何らかの先例があり、過去を学ぶことが、現代を深く知る助けとなるからだ。
たとえば、近現代の戦争を貫く三つのポイントをあげてみよう。
ひとつは、多くの戦争が、相互の恐怖心や相手の意図の読み違いから偶発的に始まっていること。次に、戦争という異常な環境の中で、人間の判断力がマヒし、一般市民の虐殺が繰り返されること。そして、戦争の最初の犠牲者は「真実」であること。指導者は不都合な真実を隠そうとするし、メディアも愛国心にあおられ、自国が始めた戦争について批判的に考えることは難しくなる。
いずれも現代の戦争に当てはまることではないか。
以下、この原稿で展開するのは、ウクライナ侵攻から1年の時点で、困難な時代を生きる若者たちにどうしても伝えたいメッセージをまとめた架空の講義である。実際の講義のように時系列ではなく、歴史から学ぶべき教訓を柱にすえて、多少時間軸を行き来しながら進めてみる。講義の中で取り上げる書籍や映画は、最後に詳しく情報を再掲載する。
では、しばし講義にお付き合いください。