安全保障政策転換の背景に自民内のバランス・オブ・パワー リチャード・サミュエルズ・MIT教授に聞く
戦争の「盾」~ジャーナリズムの責任~(3)
リチャード・サミュエルズ 政治学者・米国マサチューセッツ工科大学(MIT)教授。同大学国際研究センター所長
岸田文雄政権は2022年12月に安全保障関連3文書を改定し、戦後日本が守ってきた専守防衛の方針を事実上見直した。「敵基地攻撃能力」あるいは「反撃能力」を日本が保有することを認め、米国製巡航ミサイル「トマホーク」を導入することを決めた。さらに首相は、2023~27年度の5年間の防衛費を総額約43兆円とするよう防衛大臣と財務大臣に指示し日本の防衛費は「GDP比2%」の規模へと大幅に増大する方向だ。岸田政権は自民党の保守本流とされる宏池会の政権だ。経済重視・軽武装のハト派、リベラル、護憲路線で知られる派閥の政権がなぜこのような政策にカジを切ることになったのか。世界はこの日本の政策転換をどう受けとめるのか。米国を代表する日本政治の研究者で、日本の安全保障について長年多角的に研究をしてきたマサチューセッツ工科大学(MIT)のリチャード・サミュエルズ教授に聞いた。
――長年日本の安全保障政策を研究し、40年以上にわたって日米の政治家や実務者とも交流を続けていますが、岸田政権による日本の安全保障政策の転換をどう見ていますか。
サミュエルズ ご存じの通り、国際関係を研究するためには、バランス・オブ・パワー(勢力均衡)が非常に重要な概念です。しかし、国際政治や国際関係における大国間、国と国の間の勢力均衡だけでなく、自民党の派閥政治を研究する上においても、バランス・オブ・パワーはとても重い意味を持ちます。

MIT教授のリチャード・サミュエルズさん=2018年12月、米国マサチューセッツ州のMITで、筆者撮影
――派閥が重要だというと、まるでいまから70年近く前に成立した自民党の一党優位が続いた55年体制時代のようですが。
「吉田茂」的自民党と「安倍晋三」的自民党
サミュエルズ 55年体制が完全に崩壊したと宣言するのは時期尚早でしょう。結局、ここ最近の自民党は非常に堅固な政権を誇っています。しっかりと自民党の派閥について考察し、研究することは重要です。このことについては後で詳しくお話ししますが、21世紀の現在における自民党は「吉田茂」的な自民党というよりも、「安倍晋三」的な自民党です。その上で、もともとは「吉田茂」的な保守本流の自民党政治家である岸田文雄首相は、国際関係と自民党内の両方におけるバランス・オブ・パワーを同時に体現する存在になった、ある意味で進化を遂げたといえるでしょう。
特に安全保障と中国に関する岸田首相の見解について考えると、「進化」がキーワードになります。岸田首相は時間的、思想的にかなりの距離の旅を経て、官邸の頂点に立っているのです。

吉田茂元首相の国葬。戦後初の国葬だった=1967年10月31日、東京千代田区の日本武道館
――具体的には岸田首相はどのように変化をしたのでしょう。
サミュエルズ 2021年に岸田氏が菅義偉前首相の後継者として自民党総裁選に立候補することを表明したとき、岸田氏は安倍元首相からの全面的な支持を受けることができませんでした。それはやはり当然だったと思います。宏池会出身の岸田氏は日本の保守政治の地形図の中で、安倍晋三氏とは異なる地域の出身で、安倍ブランドともいえる「軍事的リアリズム」とは遠い存在でした。
しかし、岸田氏は軍事的リアリストではなくても政治的リアリストであり、党内のバランス・オブ・パワー政治を確実に理解し、党内の右翼グループを守ることでそうした政治状況に適応してきたのです。
――それが安全保障政策に大きく影響をしたのでしょうか。
サミュエルズ 少し前までは、日本で政治家をめざす者にとって安全保障問題の議論をすることは危険な「第三のレール」つまりうっかり触れてしまうと感電してしまうような、物議を醸し非難されるような政策テーマでした。しかし、それを変えたのが安倍元首相でした。安倍元首相は、辛抱強く、かつ粘り強く、安全保障問題に対する日本の世論の重心を移動させようとし、実際にそれにある程度成功しました。安倍元首相が史上最長となった政権を終えて退陣する頃には、東アジアのバランス・オブ・パワーの変化、すなわち中国の台頭と米国の相対的な衰退(それに伴う米国の信頼性への懸念の高まり)は、ほとんどの日本人にとって明白になっていました。