東京大学大学院法学政治学研究科で修士課程を修めた後、オクスフォード大学難民研究センターに創設された修士課程に学び、将来は国際難民法の研究者になりたいと考えていた。けれども、日本の難民認定数の圧倒的な少なさに、実務家として直接的に関われないかと考え始めるようにもなった。もう1年、ロンドンで留学生活を続けながら考え抜いて帰国した。そして、弁護士になる道を選んだ。弁護士として難民ケースを扱うにつれ、学んできた国際難民法が全く役に立たない荒野がそこに広がっていることを知り、また、本国での迫害から逃れてきた依頼者がしばしば収容されることに気づき、あるいは在留資格を持たされないことを知り、いきおい、入管収容・仮放免者に対する法的支援へと守備範囲が広がり、入管収容施設に通う弁護士になった。
先に希望ない非人間的人生
本国で政府に抗議する団体に加盟し集会に出るなど政治活動を行ったために拘束され、拷問された私の依頼者は、共に活動し共に拘束されて拷問を受けた同志たちが他国に避難した。ある同志は米国に逃れて速やかに難民認定されて、新しい人生を始めた。ある者は英国に逃れて速やかに保護されて某有名大学で研究生活に入った。日本に逃れた彼だけが、難民認定申請を行ってから約10年にわたって保護されることもなく、収容か仮放免かという、先に希望のない非人間的な人生をたどることになった。難民認定を受けた時、彼は語った。「これで、健康保険に入ることが出来ます。15年前に拷問で受けた傷の治療もようやく始められる。ありがとう」。保護されなかった歳月に失われたものはあまりにも大きかったが、それでも他の申請者たちに比べれば、彼は幸運な方と言えるのかもしれない。日本ではまだあまりに多くの難民たちが受けるべき保護を与えられずに苦しんでいる。

路上から呼びかける支援団体を、金網越しに見つめる収容された人たち=2020年11月、東京出入国在留管理局、朝日新聞社
入管収容の恐ろしさの一端が近年ようやく明るみに出ようとしているが、仮放免も残酷な制度だ。就労が許可されず、生活保護も受けられない。原則として健康保険にも加入できず、居所のある都道府県外に出ることも許可なしに出来ず(よほどの理由がなければ許可は出ない)、いつ再収容されるかも分からない。冷静に考えれば「生きるな」と言われているのと同じだ。収容されてはいないが、人間として生きることが許されているわけではない。食費も家賃も光熱費も、しばしば友人らを拝み倒して恵んでもらうしかなく、けがや病気でも医療費の実費を負担しなければならない。我が子が目の前で血を吐いていても救急車を呼ぶことをためらう親たち、大けがをしても親にそれを言えない子どもたちを生み出していくのだ。難病を抱えながら無医療生活を送らなければならない人々もいる。